太田青丘(読み)オオタ セイキュウ

20世紀日本人名事典 「太田青丘」の解説

太田 青丘
オオタ セイキュウ

昭和・平成期の歌人,中国文学者 「潮音主宰;法政大学名誉教授。



生年
明治42(1909)年8月28日

没年
平成8(1996)年11月15日

出生地
長野県東筑摩郡広丘村(現・塩尻市)

本名
太田 兵三郎(オオタ ヒョウザブロウ)

学歴〔年〕
東京帝国大学文学部中国文学科〔昭和9年〕卒

学位〔年〕
文学博士

主な受賞名〔年〕
神奈川文化賞(第32回)

経歴
東大大学院を経て、文部省国民精神文化研究所所員となる。昭和24年法政大学教授。一方、歌人・太田水穂養嗣子となり、3年「潮音」入社、水穂・四賀光子師事。30年水穂没後、編集、発行人を経て、40年より主宰。宮中歌会始選者も務めた。著書に、歌集国歩なかに」「アジアの顔」「太田青丘全歌集」、研究・評論「唐詩入門」「日本歌学と中国詩学」「太田水穂研究」「短歌開眼」、「太田青丘著作選集」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「太田青丘」の解説

太田青丘 おおた-せいきゅう

1909-1996 昭和-平成時代の歌人。
明治42年8月28日生まれ。太田水穂,四賀光子夫妻の養子。昭和3年「潮音」にはいり,30年の水穂没後から編集,発行人,40年主宰をひきつぐ。また法大で中国文学をおしえ,24年同大教授。平成8年11月15日死去。87歳。長野県出身。東京帝大卒。本名は兵三郎。歌集に「国歩のなかに」「アジアの顔」など。
格言など】たぎちつつ岩間を下る渓川(たにがは)の濁りもうれし春となる水(「国歩のなかに」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「太田青丘」の解説

太田 青丘 (おおた せいきゅう)

生年月日:1909年8月28日
昭和時代;平成時代の歌人;中国文学者。法政大学教授
1996年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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