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太田水穂 おおた みずほ

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美術人名辞典の解説

太田水穂

歌人・国文学者。長野県生。本名は貞一、別称をみづほのや。長野師範卒。若山牧水と親しく、作歌の面のみならず、歌論、古典研究の面でも多くの業績を残した。昭和30年(1955)歿、80才。

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デジタル大辞泉の解説

おおた‐みずほ〔おほたみづほ〕【太田水穂】

[1876~1955]歌人。長野の生まれ。俳諧の要素を短歌に導入し、象徴の歌風を開いた。歌集に「冬菜」「螺鈿(らでん)」、研究書に「芭蕉俳諧の根本問題」など。

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百科事典マイペディアの解説

太田水穂【おおたみずほ】

歌人。本名貞一。長野県生れ。長野師範卒。1902年第一歌集《つゆ艸》を刊行。1915年歌誌《潮音》を創刊,主宰した。《アララギ》の万葉調,写生主義に対抗して,蕉風俳諧(はいかい)の精神を歌に移し,象徴主義を作歌の根本とすることを唱えた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

太田水穂 おおた-みずほ

1876-1955 大正-昭和時代の歌人,国文学者。
明治9年12月9日生まれ。四賀光子の夫。郷里長野県での教員生活のあと上京。大正4年歌誌「潮音」を創刊し,没年まで主宰。象徴主義歌論を展開し,芭蕉(ばしょう)研究に力をそそいだ。芸術院会員。昭和30年1月1日死去。78歳。長野師範卒。本名は貞一。別号にみづほのや。著作に「短歌立言」,「芭蕉俳句研究」(共著),歌集に「つゆ艸(くさ)」「老蘇(おいそ)の森」など。
【格言など】おのが灰おのれ被(かぶ)りて消えてゆく木炭の火にたぐへて思ふ(「老蘇の森」)

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世界大百科事典 第2版の解説

おおたみずほ【太田水穂】

1876‐1955(明治9‐昭和30)
歌人。長野県の生れ。本名貞一。長野師範を卒業して小学校長,松本高等女学校教諭を歴任したのち,1908年上京,日本歯科医学専門学校の倫理科教授となったが,15年短歌結社《潮音(ちようおん)》の経営に専念。当時歌壇の主流となりつつあったアララギ派の〈万葉調写生主義〉に対抗し,芭蕉俳諧に根ざした〈喝(かつ)の芸術〉〈万有愛の理念〉を主唱した。しかし,理論と実作とはなかなか呼応せず,第3歌集《雲鳥》(1922),第4歌集《冬菜》(1927)にいたって傑作群が生みだされる。

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大辞林 第三版の解説

おおたみずほ【太田水穂】

1876~1955) 歌人・国文学者。長野県生まれ。本名、貞一。「潮音」主宰。古典文学を広く研究、伝統をみつめ自由な態度で抒情・象徴の世界をうたった。歌集「雲鳥」「冬菜」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

太田水穂
おおたみずほ

[生]1876.12.9. 長野,原新田
[没]1955.1.1. 鎌倉
歌人,国文学者。本名,貞一。別号,みづほのや。 1898年長野県師範学校卒業。短歌誌『潮音』の主宰者として王朝和歌の伝統を現代に生かした歌風を示した。 1948年芸術院会員

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

太田水穂
おおたみずほ
(1876―1955)

歌人。明治9年12月9日長野県生まれ。本名貞一(ていいち)。別号みづほのや。長野師範学校卒業。1900年(明治33)「この花会」を松本で結成し、新派和歌運動に着手、02年処女歌集『つゆ草』、05年『山上湖上』(島木赤彦と合著)を出版ののち、文部省教員検定試験倫理科に合格。08年上京、日本歯科医専(現日本歯科大学)倫理科教授のかたわら、評論家として活躍。09年四賀光子(しがみつこ)と結婚。15年(大正4)歌誌『潮音(ちょうおん)』創刊。20年幸田露伴(こうだろはん)、阿部(あべ)次郎、安倍能成(あべよししげ)、沼波瓊音(ぬなみけいおん)らと芭蕉(ばしょう)研究会をおこし、『新古今和歌集』の発展としての芭蕉を短歌に奪回して、大正末、昭和初期にアララギの写生主義、新興無産派短歌に対立して「日本的象徴」を標榜(ひょうぼう)、近代短歌に独特の地歩を確立した。48年(昭和23)芸術院会員。昭和30年1月1日没。『雲鳥(うんちょう)』(1922)、『冬菜』(1927)、『鷺鵜(さぎう)』(1933)、『螺鈿(らでん)』(1940)など9冊の歌集と、『短歌立言』(1921)、『芭蕉俳諧(はいかい)の根本問題』(1926)、『芭蕉連句の根本解説』(1930)、『神々の夜明』(1940)、『日本和歌史論中世篇(へん)』(1949)、『同上代篇』(1954)ほか多くの評論研究書がある。[太田青丘]
 白王(はくおう)の牡丹(ぼたん)の花の底ひより湧(わ)きあがりくる潮の音きこゆ
『『太田水穂全集』全10巻(1955~59・近藤書店) ▽『日本の詩歌7 太田水穂他集』(1969・中央公論社)』

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