太田水穂(読み)オオタミズホ

デジタル大辞泉 「太田水穂」の意味・読み・例文・類語

おおた‐みずほ〔おほたみづほ〕【太田水穂】

[1876~1955]歌人長野の生まれ。俳諧要素短歌に導入し、象徴歌風を開いた。歌集に「冬菜」「螺鈿らでん」、研究書に「芭蕉俳諧の根本問題」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「太田水穂」の意味・読み・例文・類語

おおた‐みずほ【太田水穂】

  1. 歌人。本名貞一。歌誌「潮音」を主宰。新古今風、俳諧風、象徴詩的歌風を示す。歌集「つゆ草」「冬菜」など。芸術院会員。明治九~昭和三〇年(一八七六‐一九五五

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「太田水穂」の意味・わかりやすい解説

太田水穂
おおたみずほ
(1876―1955)

歌人。明治9年12月9日長野県生まれ。本名貞一(ていいち)。別号みづほのや。長野師範学校卒業。1900年(明治33)「この花会」を松本で結成し、新派和歌運動に着手、02年処女歌集『つゆ草』、05年『山上湖上』(島木赤彦と合著)を出版ののち、文部省教員検定試験倫理科に合格。08年上京、日本歯科医専(現日本歯科大学)倫理科教授のかたわら、評論家として活躍。09年四賀光子(しがみつこ)と結婚。15年(大正4)歌誌『潮音(ちょうおん)』創刊。20年幸田露伴(こうだろはん)、阿部(あべ)次郎、安倍能成(あべよししげ)、沼波瓊音(ぬなみけいおん)らと芭蕉(ばしょう)研究会をおこし、『新古今和歌集』の発展としての芭蕉を短歌に奪回して、大正末、昭和初期にアララギの写生主義、新興無産派短歌に対立して「日本的象徴」を標榜(ひょうぼう)、近代短歌に独特の地歩を確立した。48年(昭和23)芸術院会員。昭和30年1月1日没。『雲鳥(うんちょう)』(1922)、『冬菜』(1927)、『鷺鵜(さぎう)』(1933)、『螺鈿(らでん)』(1940)など9冊の歌集と、『短歌立言』(1921)、『芭蕉俳諧(はいかい)の根本問題』(1926)、『芭蕉連句の根本解説』(1930)、『神々の夜明』(1940)、『日本和歌史論中世篇(へん)』(1949)、『同上代篇』(1954)ほか多くの評論研究書がある。

太田青丘

 白王(はくおう)の牡丹(ぼたん)の花の底ひより湧(わ)きあがりくる潮の音きこゆ

『『太田水穂全集』全10巻(1955~59・近藤書店)』『『日本の詩歌7 太田水穂他集』(1969・中央公論社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「太田水穂」の解説

太田 水穂
オオタ ミズホ

大正・昭和期の歌人,国文学者 日本歯科医学校教授。



生年
明治9年12月9日(1876年)

没年
昭和30(1955)年1月1日

出生地
長野県東筑豊郡原新田村(現・塩尻市)

本名
太田 貞一

別名
別号=みづほのや

学歴〔年〕
長野師範〔明治31年〕卒

経歴
師範学校時代から詩歌を作り、卒業後は長野県内の高小、高女などに勤め、明治41年上京し、日本歯科医学校(のち日本歯科大学)倫理科教授に就任。35年処女歌集「つゆ艸」を刊行、38年には島木赤彦との合著「山上湖上」を刊行して注目され、以後歌人、評論家として活躍する一方、小説、随筆も記した。大正4年「潮音」を主宰して創刊。以後、歌論、古典研究にも多くの業績をのこした。他の歌集として「雲鳥」「冬菜」「鷺・鵜」「螺鈿(らでん)」「流鶯」「老蘇の森」などがあり、評論・研究の分野でも「万葉百首選評釈」「日本和歌史論」などのほか、芭蕉研究でも多くの著書がある。昭和23年日本芸術院会員となった。「太田水穂全集」(全10巻 近藤書店)が刊行されている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「太田水穂」の意味・わかりやすい解説

太田水穂 (おおたみずほ)
生没年:1876-1955(明治9-昭和30)

歌人。長野県の生れ。本名貞一。長野師範を卒業して小学校長,松本高等女学校教諭を歴任したのち,1908年上京,日本歯科医学専門学校の倫理科教授となったが,15年短歌結社《潮音(ちようおん)》の経営に専念。当時歌壇の主流となりつつあったアララギ派の〈万葉調写生主義〉に対抗し,芭蕉俳諧に根ざした〈喝(かつ)の芸術〉〈万有愛の理念〉を主唱した。しかし,理論と実作とはなかなか呼応せず,第3歌集《雲鳥》(1922),第4歌集《冬菜》(1927)にいたって傑作群が生みだされる。〈豆の葉の露に月あり野は昼の明るさにして盆唄のこゑ〉(《冬菜》)など。そして,この延長線上に〈日本象徴〉主義が標榜され,昭和の戦中時代にはファシズムに協力する運命を背負わされることになるが,時代の子としてやむをえなかった。戦後期の晩年歌風は天真自在,48年芸術院会員に推された。《太田水穂全集》10巻(1957-59)がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「太田水穂」の意味・わかりやすい解説

太田水穂【おおたみずほ】

歌人。本名貞一。長野県生れ。長野師範卒。1902年第一歌集《つゆ艸》を刊行。1915年歌誌《潮音》を創刊,主宰した。《アララギ》の万葉調,写生主義に対抗して,蕉風俳諧(はいかい)の精神を歌に移し,象徴主義を作歌の根本とすることを唱えた。歌集《螺鈿》《流鴬》等のほか《短歌立言》《芭蕉俳諧の根本問題》などがある。戦中期には国策に協力,〈日本象徴〉主義は国粋主義へとゆがんだが,戦後は自在な歌風へと立ちもどった。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「太田水穂」の解説

太田水穂 おおた-みずほ

1876-1955 大正-昭和時代の歌人,国文学者。
明治9年12月9日生まれ。四賀光子の夫。郷里長野県での教員生活のあと上京。大正4年歌誌「潮音」を創刊し,没年まで主宰。象徴主義歌論を展開し,芭蕉(ばしょう)研究に力をそそいだ。芸術院会員。昭和30年1月1日死去。78歳。長野師範卒。本名は貞一。別号にみづほのや。著作に「短歌立言」,「芭蕉俳句研究」(共著),歌集に「つゆ艸(くさ)」「老蘇(おいそ)の森」など。
【格言など】おのが灰おのれ被(かぶ)りて消えてゆく木炭の火にたぐへて思ふ(「老蘇の森」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「太田水穂」の意味・わかりやすい解説

太田水穂
おおたみずほ

[生]1876.12.9. 長野,原新田
[没]1955.1.1. 鎌倉
歌人,国文学者。本名,貞一。別号,みづほのや。 1898年長野県師範学校卒業。短歌誌『潮音』の主宰者として王朝和歌の伝統を現代に生かした歌風を示した。 1948年芸術院会員。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

367日誕生日大事典 「太田水穂」の解説

太田 水穂 (おおた みずほ)

生年月日:1876年12月9日
大正時代;昭和時代の歌人;国文学者。日本歯科大学教授
1955年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android