朝日日本歴史人物事典 「奥健蔵」の解説
奥健蔵
生年:元治1(1864)
日本塩業の近代化路線を敷いた人。唐津藩士牧野家に生まれる。明治18(1885)年駒場農学校卒業,農商務省に入る。翌年,農商務大臣谷干城,水産局長奥青輔らの欧米視察に随行。帰国後奥家を継ぐ。23年水産調査所の川崎大師河原塩業試験所以降,塩業部門を専担した。28年中国関東州,30年には台湾の塩業を調査。31年塩業調査会委員となり,国内塩業の発展には製塩技術の開発によるコストの低減と品質向上が急務として,そのための塩専売制を提唱した。32年欧米塩業調査から帰り,広島県松永と千葉県津田沼に塩試験場を開設,真空式,カナワ式製塩法などの研究開発を進めた。38年塩専売法が施行されると,主税局専売技術課長として塩業改善に全力を注いだ。大正12(1923)年専売局技師のまま病没。その後の日本塩業は,専売制の下に,機械製塩,流下式塩田などの開発技術を導入して経営改革を進め,まさに彼が設定した路線上を発展してきたのである。<参考文献>「奥健蔵追悼」(『水産界』1923年7,8月号)
(村上正祥)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報