前田河広一郎(読み)マエダコウヒロイチロウ

デジタル大辞泉 「前田河広一郎」の意味・読み・例文・類語

まえだこう‐ひろいちろう〔まへだかうひろイチラウ〕【前田河広一郎】

[1888~1957]小説家宮城の生まれ。徳冨蘆花師事小説三等船客」で注目され、「種蒔く人」「文芸戦線同人のプロレタリア作家として活躍。他に「赤い馬車」「大暴風雨時代」など。

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精選版 日本国語大辞典 「前田河広一郎」の意味・読み・例文・類語

まえだこう‐ひろいちろう【前田河広一郎】

  1. 小説家、評論家。宮城県出身。徳富蘆花に師事。「種蒔く人」「文芸戦線」同人となりプロレタリア作家、評論家として活躍した。著「三等船客」「赤い馬車」「大暴風雨時代」「蘆花伝」など。明治二一~昭和三二年(一八八八‐一九五七

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改訂新版 世界大百科事典 「前田河広一郎」の意味・わかりやすい解説

前田河広一郎 (まいだこひろいちろう)
生没年:1888-1957(明治21-昭和32)

小説家。宮城県生れ。県立一中を中退し,1905年上京。徳冨蘆花の紹介で石川三四郎の新紀元社に入社。07年に蘆花の後援で渡米,シカゴで皿洗い,ボーイ,外交員,庭師など数種の職業に従う。在米中社会主義者金子喜一を識り,その妻の主宰する雑誌に英文で小説を発表。20年帰国。雑誌《中外》の編集長となり,21年同誌に短編小説《三等船客》を発表し初期プロレタリア文学の作家として注目された。以後種蒔く人》の同人となり,さらに《文芸戦線》の中心的な一人として活動し,在米日本人の移民生活を好んで素材として小説を書く。《大暴風雨時代》(1924),戯曲集《黙禱》(1928)のほか,《蘆花伝》(1938)など単行本は多い。作風は総じて荒削りで,芸術的に十分昇華されてないうらみが残る。
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前田河広一郎 (まえだこうひろいちろう)

前田河広一郎(まいだこひろいちろう)

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20世紀日本人名事典 「前田河広一郎」の解説

前田河 広一郎
マエダコウ ヒロイチロウ

大正・昭和期の小説家



生年
明治21(1888)年11月13日

没年
昭和32(1957)年12月4日

出生地
宮城県仙台市

学歴〔年〕
宮城県立一中〔明治38年〕中退

経歴
中学中退後上京して新紀元社に入社。「新紀元」廃刊後は農業などをして、明治40年渡米。シカゴで様々の仕事をし、在米社会主義者と交わり短篇「二十世紀」などを発表。大正5年シカゴからニューヨークに移り「今日の日本文壇」を発表。第一次大戦後は「日米週報」の編集長となり、9年13年間の在米生活を打ち切って帰国。「中外」編集長となり11年「三等船客」を刊行。以後「赤い馬車」「麵麭」「最後に笑ふ者」「快楽師の群」などを刊行。「文芸戦線」に参加し、プロレタリア文学作家として活躍。他の著書に「支那」「蘆花伝」「青春自画像」などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「前田河広一郎」の意味・わかりやすい解説

前田河広一郎(まえだこうひろいちろう)
まえだこうひろいちろう
(1888―1957)

小説家。宮城県に生まれる。戸籍上は「まいだこひろいちろう」と読む。県立一中中退後上京、徳冨蘆花(とくとみろか)の紹介で新紀元社に入社。のち渡米、種々の職業を転々とする一方、在米の社会主義者金子喜一と知り、英文による創作を発表した。1920年(大正9)13年間の在米生活を打ち切り帰国、総合雑誌『中外』の編集長となった。翌年アメリカ移民の帰国者の群れを描いた『三等船客』を発表して注目を集めた。その後『赤い馬車』『麺麭(パン)』(ともに1923)などの創作集を刊行、また『文芸戦線』同人として、プロレタリア文学を代表する一人となった。戯曲集『黙祷(もくとう)』(1928)、評論集『十年間』(1930)、『蘆花伝』(1938)その他多数の著書がある。

[大塚 博]

『『現代日本文学大系59 前田河広一郎他集』(1973・筑摩書房)』『前田河広一郎著『青春の自画像』(1958・理論社)』


前田河広一郎(まいだこひろいちろう)
まいだこひろいちろう

前田河広一郎

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「前田河広一郎」の意味・わかりやすい解説

前田河広一郎
まえだこうひろいちろう

[生]1888.11.13. 宮城,仙台
[没]1957.12.4. 東京
小説家。中学校を中退,1905年上京して徳冨蘆花に師事。1907年アメリカ合衆国に渡り,労働生活を送りながら,合間に小説や評論を書いた。1920年に帰国。雑誌『中外』の編集に携わり,同誌に初期プロレタリア文学の傑作『三等船客』(1921)を発表,文壇で反響を呼んだ。1923年に文芸雑誌『種蒔く人』の同人となり,以後『赤い馬車』(1923),『麺麭(パン)』(1923)を発表。翌 1924年『文芸戦線』同人となり,評論を書く一方で長編『大暴風雨時代』(1924)を発表,初期プロレタリア文学の代表作家となった。ほかに,評論集『十年間』(1930),伝記文学『蘆花伝』(1938)などがある。

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百科事典マイペディア 「前田河広一郎」の意味・わかりやすい解説

前田河広一郎【まいだこひろいちろう】

作家,評論家。仙台生れ。徳冨蘆花に師事。その後援で渡米,1920年帰国。雑誌《中外》発表の《三等船客》で初期プロレタリア文学の代表作家の一人となった。《種蒔く人》同人。《文芸戦線》創刊に参加。長編《大暴風雨時代》,評論集《十年間》,評伝《蘆花伝》など。

前田河広一郎【まいだこうひろいちろう】

前田河広一郎(まいだこひろいちろう)

前田河広一郎【まえだこうひろいちろう】

前田河広一郎(まいだこひろいちろう)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「前田河広一郎」の解説

前田河広一郎 まえだこう-ひろいちろう

1888-1957 大正-昭和時代の小説家。
明治21年11月13日生まれ。徳冨蘆花(ろか)に師事し,その援助で明治40年渡米。大正10年「三等船客」を発表し,のち「種蒔(ま)く人」「文芸戦線」の同人となり,初期プロレタリア作家として活躍。昭和32年12月4日死去。69歳。宮城県出身。著作に「十年間」「蘆花伝」など。

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367日誕生日大事典 「前田河広一郎」の解説

前田河 広一郎 (まえだこう ひろいちろう)

生年月日:1888年11月13日
大正時代;昭和時代の小説家
1957年没

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世界大百科事典(旧版)内の前田河広一郎の言及

【前田河広一郎】より

…小説家。宮城県生れ。県立一中を中退し,1905年上京。徳冨蘆花の紹介で石川三四郎の新紀元社に入社。07年に蘆花の後援で渡米,シカゴで皿洗い,ボーイ,外交員,庭師など数種の職業に従う。在米中社会主義者金子喜一を識り,その妻の主宰する雑誌に英文で小説を発表。20年帰国。雑誌《中外》の編集長となり,21年同誌に短編小説《三等船客》を発表し初期プロレタリア文学の作家として注目された。以後《種蒔く人》の同人となり,さらに《文芸戦線》の中心的な一人として活動し,在米日本人の移民生活を好んで素材として小説を書く。…

※「前田河広一郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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