小説家。宮城県生れ。県立一中を中退し,1905年上京。徳冨蘆花の紹介で石川三四郎の新紀元社に入社。07年に蘆花の後援で渡米,シカゴで皿洗い,ボーイ,外交員,庭師など数種の職業に従う。在米中社会主義者金子喜一を識り,その妻の主宰する雑誌に英文で小説を発表。20年帰国。雑誌《中外》の編集長となり,21年同誌に短編小説《三等船客》を発表し初期プロレタリア文学の作家として注目された。以後《種蒔く人》の同人となり,さらに《文芸戦線》の中心的な一人として活動し,在米日本人の移民生活を好んで素材として小説を書く。《大暴風雨時代》(1924),戯曲集《黙禱》(1928)のほか,《蘆花伝》(1938)など単行本は多い。作風は総じて荒削りで,芸術的に十分昇華されてないうらみが残る。
執筆者:関口 安義
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大正・昭和期の小説家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
小説家。宮城県に生まれる。戸籍上は「まいだこひろいちろう」と読む。県立一中中退後上京、徳冨蘆花(とくとみろか)の紹介で新紀元社に入社。のち渡米、種々の職業を転々とする一方、在米の社会主義者金子喜一と知り、英文による創作を発表した。1920年(大正9)13年間の在米生活を打ち切り帰国、総合雑誌『中外』の編集長となった。翌年アメリカ移民の帰国者の群れを描いた『三等船客』を発表して注目を集めた。その後『赤い馬車』『麺麭(パン)』(ともに1923)などの創作集を刊行、また『文芸戦線』同人として、プロレタリア文学を代表する一人となった。戯曲集『黙祷(もくとう)』(1928)、評論集『十年間』(1930)、『蘆花伝』(1938)その他多数の著書がある。
[大塚 博]
『『現代日本文学大系59 前田河広一郎他集』(1973・筑摩書房)』▽『前田河広一郎著『青春の自画像』(1958・理論社)』
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…小説家。宮城県生れ。県立一中を中退し,1905年上京。徳冨蘆花の紹介で石川三四郎の新紀元社に入社。07年に蘆花の後援で渡米,シカゴで皿洗い,ボーイ,外交員,庭師など数種の職業に従う。在米中社会主義者金子喜一を識り,その妻の主宰する雑誌に英文で小説を発表。20年帰国。雑誌《中外》の編集長となり,21年同誌に短編小説《三等船客》を発表し初期プロレタリア文学の作家として注目された。以後《種蒔く人》の同人となり,さらに《文芸戦線》の中心的な一人として活動し,在米日本人の移民生活を好んで素材として小説を書く。…
※「前田河広一郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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