奥村新田
おくむらしんでん
[現在地名]加治川村湖南
和泉新田の北に接するが、村域は砂山新田の本村および飛地と複雑に入組む。享保二〇年(一七三五)初検地の紫雲寺潟新田の一村で、後願人新発田町弥右衛門ならびに長兵衛の請地であったが、検地直前に新発田町茂作へ譲られた。元文元年(一七三六)の検地帳(「郷土史概論」所収)によれば、高二二九石八斗余・反別二六町二反余、ほかに除地として秣場五反余・萱野二反余などがあり、総反別は二七町六反余。飛地は字東砂山・前畑・根畑・〆田・向畑・富田・大江田・明シ田・鶴田・下坪に一二ヵ所、真野原(現紫雲寺町)の旧潟西縁に一ヵ所あった。
奥村新田
おくむらしんでん
[現在地名]六日町奥
大杉新田の東、蓑和島村との境は不分明。南北に三国街道が通る。奥村四郎左衛門なる者の開発と伝えるが、年代は不明(新編会津風土記)。正保国絵図に村名があり、高二一六石余。天和三年郷帳では浦佐組に属し、高三七石八斗余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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