日本大百科全書(ニッポニカ) 「女工と結核」の意味・わかりやすい解説
女工と結核
じょこうとけっかく
医学者石原修(おさむ)が1913年(大正2)10月、国家医学会例会で行った講演記録。『衛生学上ヨリ見タル女工之現况』(1914)の「附録」として刊行された。工場法推進のため、農商務省嘱託として工場調査にあたっていた石原がその実態に驚愕(きょうがく)し、講演を行ったもので、調査内容は農商務省工務局の『工場衛生調査資料』(1910)に出された。石原は女工の健康破壊と結核蔓延(まんえん)の原因が二交替制の深夜業にあるとし、それを「人間を長い時期に於(おい)て息の根を止めつつある行為」と告発したもので、日本の繊維工業が農村からの女工の出稼ぎによって支えられており、そのことが日本における結核蔓延の土壌であることを鋭く指摘している。同時に発表した夜業と体重の関係を論じた論文『衛生学上ヨリ見タル女工之現况』とあわせて工場法推進の世論を高める役割を果たした。
[米田佐代子]
『『生活古典叢書5 女工と結核』(1970・光生館)』