女布村(読み)にようむら

日本歴史地名大系 「女布村」の解説

女布村
にようむら

[現在地名]舞鶴市字女布

田辺たなべ城下西南、女布谷の奥に位置する。ここから高野たかのの谷に出た所に下森しももり神社があるが、この地域には古代人の住居跡があり、弥生式土器が発見されている。下森神社のある付近は古代の沿岸集落であり、その中心的地位を占めていたのが、女布地域であったと考えられている。女布集落の入口にあたる大日だいにち山の丘陵端に古墳があり、鉄剣と土器が出土したと伝える。

慶長検地郷村帳に高三六七・〇九石「女布村」とみえる。


女布村
にようむら

[現在地名]久美浜町字女布

佐濃さの谷の東山麓に、女布権現山を背にして集落をつくる。地形は西南に面して丘陵となり、日照時間が長く土質もよい。

慶長検地郷村帳に高二九三・四八石「女布村」とみえるが、延宝九年(一六八一)延高で三四二石余となった(天和元年宮津領村高帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む