妙楽寺村(読み)みようらくじむら

日本歴史地名大系 「妙楽寺村」の解説

妙楽寺村
みようらくじむら

[現在地名]睦沢町妙楽寺

大上おおがみ村の南西に位置し、埴生はぶ川支流の瑞沢みずさわ川が流れる。夷隅いすみ郡に属した。古くは川音村と書かれ、「かおと」とよんだとされ(房総志料続篇)、寛永一〇年(一六三三)の妙楽寺鰐口銘、延宝五年(一六七七)山王権現棟札などに千町ちまち庄川音村と記されている。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高三一五石。正保国絵図では明楽寺村として高三一五石。明暦元年(一六五五)の千町庄妙楽寺村地詰帳(睦沢町史)では五六町二反余。元禄郷帳では高六三二石余で、幕末まで変わらない。


妙楽寺村
みようらくじむら

[現在地名]青山町妙楽地みようらくじ

たき村の南西に位置し、東西に長く大部分山地。中央を上津こうづ(木津川)が西南流し右岸に集落が集まる。元禄五年(一六九二)内検を改めている。本高三一八・八一三石、平高五五七・五八石、うち二一七・五八二石は藤堂式部の給地にあてられている。寛延(一七四八―五一)頃の戸数六二、人口二六二、馬一五。神社は岩神いわがみ、寺は阿弥陀寺がある(宗国史)


妙楽寺村
みようらくじむら

[現在地名]豊岡市妙楽寺・昭和町しようわちよう弥栄町やさかちよう桜町さくらまち

大磯おおぞ村の西に接する。西は見手山みてやま丘陵で見手山古墳群や中世の山城(妙楽寺城など)遺構を残し、経筒・六器・金銅大錫杖頭が出土。江戸時代の領主の変遷は小尾崎こおざき村に同じ。正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図に村名がみえ、高八三石余。


妙楽寺村
みようらくじむら

[現在地名]彦根市日夏町ひなつちよう

いずみ村の西に位置。西端宇曾うそ川が流れ対岸は荒神こうじん山東麓。慶長高辻帳に村名がみえ高三五七石余、うち七石六斗は小物成。寛文四年(一六六四)の彦根領分高帳(間塚文書)によると定免で六ツ。


妙楽寺村
みようらくじむら

[現在地名]瑞穂町字妙楽寺

保井谷粟野ほいだにあわの村の北にある。村内を田辺―京街道が通り、高屋たかや川が並行して南東に流れる。川の沿岸に細長く帯状に耕地が開け、東西は山地で、集落はこの両山麓斜面にある。東は質美しつみ村、西は三之宮さんのみや村、北は水呑みずのみ村。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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