日本歴史地名大系 「妙楽寺」の解説
妙楽寺
みようらくじ
臨済宗大徳寺派、石城山妙楽円満禅寺と称し、本尊釈迦如来。江戸時代の
妙楽寺
みようらくじ
〔創立〕
寺伝によれば、七世紀の建立と藤原不比等・定慧法師との関係を伝承し、一〇世紀には天台宗であったという。真宗寺院としての出発は真宗仏光寺派本山
妙楽寺
みようらくじ
〔開創伝承〕
創建年代は不詳だが、寺蔵の九条兼孝筆の妙楽寺縁起によれば、養老三年(七一九)に行基がこの山にきて、長さ一寸の千手千眼(観音)像を彫り、三千大千世界の群類を救済しようとした。しかしいまだ機縁は熟しておらず、むなしく七〇余年の星霜を送り、延暦一六年(七九七)弘法大師(空海)が廻国の際、行基が彫った尊像を拝見し、これが天皇の耳に達し、仏閣の造立が企てられた。その間に大聖不動明王が彫られ、大般若経六〇〇巻が書写された。伽藍が完成すると供養のため弥陀の名号が天皇により棟札に記されたという。地神第四の彦火火出見尊の婦神である豊玉姫という神は、いま若狭姫明神と号し、若狭国の鎮守二宮のことである。この神は少女の姿であらわれ、毎日きて空海に奉仕したという。ある時新たに書写された般若経を強く望んだので、空海はこの少女が明神の化現したものであることを知った。
妙楽寺
みようらくじ
妙楽寺
みようらくじ
妙楽寺
みようらくじ
妙楽寺
みようらくじ
妙楽寺
みようらくじ
妙楽寺
みようらくじ
妙楽寺
みようらくじ
妙楽寺
みようらくじ
妙楽寺
みようらくじ
妙楽寺
みようらくじ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報