妙長寺(読み)みようちようじ

日本歴史地名大系 「妙長寺」の解説

妙長寺
みようちようじ

[現在地名]稲沢市下津町 東下町

岐阜街道と五条(ごじよう)川の間にあり、瑞雲山と号し、日蓮宗。本尊十界大曼荼羅。境内二一〇坪。応仁元年(一四六七)下津(おりづ)の山田明長が京都で戦死し、その子長親が父の菩提を弔うため次男日縁を開山として文明一〇年(一四七八)現在地より北、阿弥陀(あみだ)寺の東の字元番神(もとばんしん)の地に創建し、法華(ほつけ)堂または題目堂と号した。長親の妹が出家し妙長尼と称し、大永元年(一五二一)に文永一〇年(一二七三)刻銘の日蓮像を安置したが、嘉永六年(一八五三)に焼失した。享禄四年(一五三一)久遠院日珍が祖師影(そしえい)堂・仏堂を建立し青遠山妙長寺と号した。


妙長寺
みようちようじ

[現在地名]鎌倉市材木座二丁目

乱(みだれ)橋の北、啓運(けいうん)寺の向いにある。日蓮宗、海潮山妙長寺と号する。もと大(おお)町妙本(みようほん)寺末、本尊は三宝祖師。開山は日実と伝える。皇国地誌は正安元年(一二九九)一〇月の創建で、由比(ゆい)ガ浜にあったのを延元二年(一三三七)円成寺廃寺跡の現在地に移したと記す。「風土記稿」は材木座(ざいもくざ)小字沼浦が旧地といい、延享三年(一七四六)八月の小鐘銘には「相州鎌倉沼浦 海潮山妙長寺」とあるから延享以降の移転と思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)1 別の衣服に着替えること。特に夏冬の季節に応じて改めること。平安時代には、陰暦4月1日、10月1日に行われた。江戸幕府では、このほかに5月5日・9月9日などにも着替える定めがあった。現...

衣替えの用語解説を読む