中世,京都など都市や地方で材木の特権的な取引に従事していた商人団。木屋座とも称した。京都堀川,木津,奈良,鎌倉,堺など主要都市にその成立が確認される。京都堀川は平安末期には諸国から搬入された材木の交易場としてにぎわったが,座の成立を確認できるのは南北朝時代である。彼らは祇園社を本所とする神人(じにん)で,左方・右方の二つの組織に分かれており,室町時代には丹波,近江,美濃,安芸,四国方面から送られてくる材木の特権的取引を行った。15世紀初頭の座衆は34名にも達した。平安末期,伊賀方面から木津川を下って送られてくる材木の陸揚地木津には,南都諸大寺の木屋所があって,木屋預・木守・寄人らが材木の取扱いに当たっていたが,鎌倉中期には材木座の成立が確認できる。彼らは興福寺一乗院の寄人身分をもち,伊賀のみならず土佐,阿波方面から水路送られてくる材木を,京都あるいは奈良に運んで取引を行った。奈良には店売をもっぱらにする材木座があった。しかし京都などでは材木の取引は座商人だけでなく,駕輿丁(かよちよう)ら座外の問屋・小売商人も行った。
執筆者:佐々木 銀弥
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中世の材木商人の同業者組合。木屋座(きやざ)・榑座(くれざ)ともいい、材木の営業独占権をもった。木材の商品化は平安時代末期から始まり、材木座は材木の消費都市・集散地である京都堀川(ほりかわ)・木津(きづ)(京都府木津川市)・奈良・堺・鎌倉などに成立した。京都堀川は、丹波材の集散地であり、早くから材木交易の地として賑わった。この地に祇園社を本所(ほんじょ)とする神人(じにん)の材木座は南北朝期に成立し、洛中の材木商売を独占した。また、祇園会の神輿のための浮橋架設の義務を負った。木津は、古代より各寺院の木屋所が設けられ、木屋預(きやあずかり)・木守(きもり)・寄人(よりうど)等が材木を取り扱っていた。鎌倉時代中期には、興福寺一乗院の所管である西御塔寄人によって材木座が木津に成立した。室町時代、伊賀のみならず四国及び瀬戸内海沿岸各港から運び出される材木は、木津にて陸揚げされ、京都方面への販売と奈良の振売(ふりうり)を営業とするものがあった。
[松井吉昭]
『『豊田武著作集 第1巻 座の研究』(1982・吉川弘文館)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…頼朝墓前を東西に走る道路は金沢道で,古寺杉本寺,浄明寺,朝比奈切通しを経て東京湾岸の金沢八景へ抜ける。相模湾沿岸は,旧鎌倉市街地の中央を流れる滑川の河口によって二分され,その東岸が材木座海岸,西岸が由比ヶ浜海岸で,夏季は海水浴客でにぎわう。材木座には海岸近くに浄土宗光明寺があり,逗子市との境界海面上に日本最初の築港の跡といわれる和賀江島がある。…
…鎌倉市の材木座海岸東端にある飯島崎の付け根から,西へ向かって海に突き出した中世の築港跡。現存する鎌倉時代の築港としては唯一のもので,酒匂(さかわ)川の河原石を積んで造られている。…
…木材が集合的に売買取引される市場。その歴史は古く,中世に栄えた材木座はその一つである。応永年間(1394‐1428)に京都,滋賀,四国,中国地方から集荷された材を扱う業者が京都に36軒あり,文明年間(1469‐87)には京都堀川に材木座が結成され,木材流通を担った例がある。…
※「材木座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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