妻沼村(読み)めぬまむら

日本歴史地名大系 「妻沼村」の解説

妻沼村
めぬまむら

[現在地名]妻沼町妻沼・妻沼東めぬまひがし

目沼・女沼とも記す。現妻沼町中央部北端、利根川右岸の自然堤防上に位置する。東はぜんしま村、西はだい村、南は八ッ口やつくち村・弥藤五やとうご村、北は利根川を隔て上野国邑楽おうら古戸ふると(現群馬県太田市)。江戸時代には中山道熊谷宿から上野国に至る脇往還の駅場であるとともに、聖天しようでん(現歓喜院)門前町としても栄え、利根川には妻沼河岸と妻沼渡があった。聖天宮縁起(歓喜院蔵)によれば、利根川の流域に形状の似た二つの沼があり、下には伊弉冉尊を祀る白髪しらかみ神社(女体様)があり、上には伊弉諾尊を祀る男体様があったことから、下の沼を女沼、上の沼を男沼と唱えたという。中世には長井ながい庄の内で、現鷲宮わしみや正蓮しようれん寺阿弥陀如来立像の元亀三年(一五七二)一〇月吉日の年紀をもつ背面陰刻に「願主 武蔵国長井庄目沼(郷) 坂木神左衛門」とみえる。天正一九年(一五九一)三月、おし(現行田市)松平家忠に「めぬま村」の一千一八二石余が預けられている(「伊奈忠次忍領預地書立」長崎県片山家文書)。慶長年中(一五九六―一六一五)には聖天宮社地に隣接して忍城の陣屋が置かれ大河内氏が居住したが、寛永一五年(一六三八)に陣屋は撤去され跡地は聖天宮に寄進されたという(風土記稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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