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婦好墓 ふこうぼFu-hao-mu

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

婦好墓
ふこうぼ
Fu-hao-mu

中国河南省安陽市小屯で,1976年に発掘された殷後期の墓。小屯第5号墓とも呼ばれる。墓壙は南北 5.6m,東西 4mほどの長方形竪穴墓で,木槨木棺を有していた。墓上には南北残長 5.5m,東西 5mほどの掘込基壇が存在し,享堂などの墓上建築の存在が知られる。この墓は 16人の殉葬者を伴い,槨内,棺内外からは,1982点の副葬品が発見されている。副葬品には,青銅の大方鼎,鼎,げん,甑,ほう,方彝,尊,方壺,盂,方か,爵,鏡,と,玉器のき,環,璧,戈,鉞,戚,刀,人,竜,鳥,虎,象,牛などがあった。多数の青銅器に「好」の銘が見られることによって,この墓の被葬者を武丁期の妣である「婦好」に比定する説がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

婦好墓
ふこうぼ

1976年、中国、河南省安陽(あんよう)西郊にある殷墟(いんきょ)で発掘された中型墓。墓室は地下7.5メートルのところにある。多数の遺品のなかから「婦好」という銘のある青銅器が発見されており、殷墟早期の帝王、武丁(ぶてい)(前11世紀ころ)の妃(きさき)(妣辛(ひしん))と考えられている。甲骨卜辞(ぼくじ)によると、婦好は将軍として中国各地に遠征したという。墓葬は地上まで六層に分けて土をつき固めており、男女16人、犬六匹の殉葬が認められたが、地上には方形の建築、祠堂(しどう)とおぼしき遺址(いし)がみつかっている。青銅器440余点のほか、玉器590余点や骨角器560余点などが完全な状態で出土した。人物や動物をデザインした玉器など、形も色もなかなか見ごたえがある。[吉村 怜]

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世界大百科事典内の婦好墓の言及

【殷墟】より

…中国河南省安陽市小屯付近を中心として,洹河の南岸・北岸約24km2の範囲に散在する殷後期の遺跡群。殷王朝は,前期・中期・後期に時期区分され,殷後期は19代盤庚から30代帝辛(紂)の殷滅亡に至る,一説に273年間の年代が考えられている。小屯付近の遺跡を殷後期の遺跡として殷墟に比定する最大の根拠は,出土した甲骨文の研究によって,司馬遷の《史記》に記載された殷王室の世系と,甲骨文の世系がほぼ一致し,しかも甲骨の年代が,22代武丁から30代帝辛の時代にあたることが判明したことによっている。…

【殷周美術】より

…また人物,動物などの大理石彫像もあるが,形式化された形態をとる。 1976年小屯村発見の婦好墓は大墓でこそないが盗掘を受けない完全な墓で,しかも被葬者が武丁の配偶者である婦好とわかり,埋葬年代が殷後期前半と定められる点で空前の発見である。副葬品は司母辛大鼎ほか礼器,武器,工具,鏡,楽器などの青銅器が468点で偶方彝(い),三連甗(げん)のごとき特有のものがある。…

【墳墓】より

…日本では奈良時代から平安時代初めにかけて,おもに火葬墓に伴っている。墓室を地下に設け,地上には祠堂を建てるもの(殷の婦好墓)もある。地上に標識を残さないのは盗掘を防いだものであろう。…

※「婦好墓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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