宇治領(読み)うじりよう

日本歴史地名大系 「宇治領」の解説

宇治領
うじりよう

紀ノ川河口南岸一帯に散在する村。「続風土記」は範囲を「今の西宇治並に本町より東の方、三部住吉両社を氏神とする地」とし、田畑高四一九石余を記す。しかし江戸時代は大部分が一千石未満の武家屋敷で、田畑は屋敷の間や紀ノ川堤周辺部にあったらしい。宇治の地名は古く、本来紀ノ川河口部の中島で、内の意であったという(続風土記)

「日本書紀」景行天皇三年二月条に「紀直が遠祖菟道彦が女影媛を娶りて、武内宿禰を生ましむ」とある菟道彦うじひこは当地の地名を冠したものとされる。「一代要記」成務天皇条は武内宿禰の母を「紀伊国名草郡人宇治郷人」としており、少なくとも宇治が古代以来の地名であることをうかがわせる。「日本霊異記」上巻第五話には「紀伊国名草郡宇治大伴連等」とあり、当地に大伴連一族が勢力を有していたことが知られる。天治二年(一一二五)四月三日付の藤原祐長絹貢進状(保坂潤治氏蔵東大寺文書)によれば「紀伊国名草郡宇治保司」が上絹一〇疋を貢進している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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