宇津城跡(読み)うつじようあと

日本歴史地名大系 「宇津城跡」の解説

宇津城跡
うつじようあと

[現在地名]京北町大字下宇津 粟生谷

中世、宇津氏の居城跡。下宇津の八幡宮社の裏山の山上に約六〇平方メートルの平坦地があり、居館の礎石や石垣の一部、水汲場跡がみられる。

室町中期に美濃国長森ながもり(跡地は現岐阜市)城主土岐氏の末子が当地に移住し、宇津頼顕と改名して宇都うつ庄を支配したが、当城はその時の築城。以後宇津城を拠点に、頼夏・頼高・頼重三代にわたって近隣の山国やまぐに庄・弓削ゆげ庄・細川ほそかわ(細野)庄や船井郡世木せき(現日吉町)をも侵略する(市原文書)。宇津氏の活動には不明な点も多いが、「実隆公記」永正八年(一五一一)八月一六日条に「午後室町殿先引退丹州給、細川大内・畠山修理大夫・吉良以下人々多供奉、路次無其煩云々、季綱卿・冬光卿同参云々、後聞、丹州宇津ト云所ニ御座云々」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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