日本歴史地名大系 「宇津宮子幕府跡」の解説
宇津宮子幕府跡
うつのみやずしばくふあと
宇都宮とも書く。
幕府は嘉禄元年(一二二五)一二月、源氏三代、約四五年間続いた大倉から、宇津宮辻子に移された。源実朝が没した六年後のことである。「吾妻鏡」によると、この年一〇月三日、執権北条泰時・連署北条時房が「宇津宮辻子」に移すことを決め、その場所について群議、翌四日に泰時・時房らは宇津宮辻子と若宮大路などを巡検して測量を行い、一二月五日の完成と同時に旧御所を破却すると決定、一三日には造営勘文を召した。一九日には泰時亭において宇津宮辻子(小路)東西のどちら側を敷地とするか意見を聞いたところ、まちまちで定まらず、一一月二〇日、泰時亭で御所造営について方角のことを評議したが、陰陽師たちの意見が一致せず、結局方角は未定のまま評議を終えている。一二月五日に予定どおり新御所が上棟し、大倉御所のうち政所・御倉などが壊され、同月二〇日には将軍頼経の移徙の儀が盛大に行われた。南門から入った頼経は南庭の中央で下馬し、車寄の戸および二棟の廊を経て寝殿に入っており、御所は小路である宇津宮辻子を南とし、若宮大路を西とする一郭に建設されていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報