居処をかえること。〈渡り坐し〉からきたといわれ,古くは貴人の転居をさしたもので,移御とも記される。後世は一般に使用される言葉となった。平安朝公家の典型的実例として1063年(康平6)藤原師実が花山院に移ったときの儀礼を示すと,第1に童女2人がそれぞれ水と燭を擎(ささ)げ,第2に1人が黄牛を牽(ひ)き,第3に2人が案を擎げ,第4に2人が五穀を入れた釜を持ち,第5に家長,第6に1人が馬の鞍を擎げ,第7に子孫の男,第8に帛を盛った箱を持ち,第9に五穀の飯を入れた甑(こしき)を持ち,第10に家母が鏡をつけ,列をつくって新居に入る。家長の母は新居の堂内南面して座し,棗・李・栗・杏・桃の五菓を食し酩酒を飲む。翌朝,門戸・井戸・竈・堂・庭・厠の諸神に五穀を供えて祭り,3日目にも同様のまつりをする。3日のうちは殺生せず,歌わず,厠に入らず,悪言せず,楽しまず,刑罰せず,高きに登らず,深きに臨まず,不孝の子を見ず,僧尼を入れない。黄牛を牽くのは土公神に対する呪術であり,2頭の場合が多い。行列の前に陰陽師が反閇(へんばい)を踏み呪を誦しつつ進む。新屋に入れば火童は灯籠に点火し水童は御厨子所に入る。1153年(仁平3)平信範が新築の寝殿へ移ったとき陰陽師が随身宅鎮物具等を母屋の四隅に打ちつけ西嶽真人の符を天井に置いた記録もあるが,これはよく行われ,中国で西嶽華山の神を宅神とみたことによる。中国では地神である土公は四季七十二候にわたり変化するゆえ七十二候を星神と見立ててこれをまつり,護符や鎮瓶の形で呪物化し,新居の安全を祈ったのである。移徙の祝言に際しては中世以来,赤・檜皮・萌葱・薄青・桜等の色が忌まれ,白の襖(あお),狩衣(かりぎぬ)を着すべきものとされ,近世の民間では小豆粥を煮て食し,あるいは引越しの際には近所へ江戸・大坂ではそばまたは付木(つけぎ)を1把ずつ配る風習が行われた。〈わたまし〉は新築落成祝の意味に使われることもあり,沖縄石垣島では墓の落成日の祭りを指す。
執筆者:村山 修一
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…現在でも家財の運搬のほかに,手伝いの人々のもてなしや近隣の人々へのあいさつが行われるが,古くはいろいろな儀式や習俗を伴った。中世の貴族社会では引越しを移徙(いし∥わたまし)と呼び,水と燭を捧げた童女2人と黄牛を先頭にした行列を組んで移住し,その後の宴会では粥(かゆ)や湯漬(ゆづけ)を食した。この場合の水と燭(火)は,旧居から新居への住生活の連続性を象徴しており,黄牛は七夕の牽牛織女の伝説に由来するものと考えられていた。…
…〈屋移り粥(やうつりがゆ)〉と呼ばれる粥をつくって,村人が歌をうたいながらそれを新築の家にふりかける習俗を伝える地方もある。なお,中世の貴族住宅でも,新しい住いに移り住むことを移徙(わたまし)と呼び,その際に粥をつくって祝う習俗が見られる(引越し)。 現代日本では,建築儀礼は伝統的な木造建築に限らず,鉄筋コンクリートや鉄骨構造の建築についてもひろく行われており,一般に地鎮祭と上棟式の二つが主になっている。…
…現在でも家財の運搬のほかに,手伝いの人々のもてなしや近隣の人々へのあいさつが行われるが,古くはいろいろな儀式や習俗を伴った。中世の貴族社会では引越しを移徙(いし∥わたまし)と呼び,水と燭を捧げた童女2人と黄牛を先頭にした行列を組んで移住し,その後の宴会では粥(かゆ)や湯漬(ゆづけ)を食した。この場合の水と燭(火)は,旧居から新居への住生活の連続性を象徴しており,黄牛は七夕の牽牛織女の伝説に由来するものと考えられていた。…
※「移徙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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