宇都宮宿(読み)うつのみやしゆく

日本歴史地名大系 「宇都宮宿」の解説

宇都宮宿
うつのみやしゆく

日光街道の江戸から一七宿目にあたり、二七里一二町二〇間。直前の宿は雀宮すずめのみや宿、次宿は徳次郎とくじら宿。当宿より分岐する奥州街道の次宿は白沢しらさわ宿(現河内郡河内町)である。東へ水戸道が分れる。将軍の日光社参の際の宿泊地であり、東北諸大名の参勤交代も多く、極めて重要な宿場であった。

慶長七年(一六〇二)宇都宮町に対し地子免除が認められた際、「公儀之伝馬、当領主定役」が課せられた(「地子免許状」植木秀三文書)。翌八年には町方伝馬役が命ぜられ、東石ひがしこく(のちの元石町)が勤めた。元和六年には本多正純の町割替えにより、奥州街道と日光街道の分岐点となった伝馬でんま町と小伝馬こでんま町が伝馬役を勤めることとなった。さらに寛永一一年(一六三四)には池上いけかみ町も伝馬役を負担。伝馬町小伝馬町で四七匹、池上町で五三匹の計一〇〇匹を負担することとなった。正徳三年(一七一三)以降は惣町惣役負担となる(以上、宇都宮史)。元禄九年(一六九六)の宇都宮宿助郷帳(上野虎四郎文書)によれば、宇都宮宿への大助郷村一七ヵ村・高一万二千一三五石が定められている。寛政八年(一七九六)の宇都宮宿役馬惣町割覚(成田金治文書)によれば、役馬の負担は石町組で二三匹、大町組で二七匹、池上町組で二四匹であり、このほかに二五匹を買入れ、計一〇〇匹で、これを本軒四〇〇軒で割った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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