日本歴史地名大系 「宇龍浦」の解説
宇龍浦
うりゆううら
〔古代・中世〕
風土記では宇礼保浦は「広さ七十八歩あり。船二十許泊つべし」と記され、かなりの良港であったことがうかがえる。なお同書にみえる
一方、宇龍が日御崎社(現日御碕神社)と近接しているため南北朝期以後における日御崎社の杵築大社からの自立化に伴って、日御崎・杵築両社の間でその領有をめぐる境相論が展開された。応永三二年(一四二五)六月二六日の御崎一起請文(千家家文書)には、「うれう・みさきの境の事ハ、古所にて候峯のたふをさかふ、南の山昔の本境あり」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報