日御碕神社(読み)ヒノミサキジンジャ

デジタル大辞泉 「日御碕神社」の意味・読み・例文・類語

ひのみさき‐じんじゃ【日御碕神社】

島根県出雲市大社町日御碕にある神社。祭神は下の本社に天照大日孁貴あまてらすおおひるめむち、上の本社に神素盞嗚尊かんすさのおのみこと

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精選版 日本国語大辞典 「日御碕神社」の意味・読み・例文・類語

ひのみさき‐じんじゃ【日御碕神社】

島根県出雲市大社町日御碕にある神社。旧国幣小社。上の宮(神の宮)、下の宮(日沈宮)に分かれ、神素戔嗚尊(かんすさのおのみこと)・天照大日孁貴(あまてらすおおひるめのむち)を主神としてまつる。上の宮は安寧天皇一三年に勅命で神殿を造営。下の宮は開化天皇二年、近くの経(ふみ)島に社殿が造られたが天暦二年(九四八)現在地に遷座し、上の宮とともに日御碕大神宮と称した。所蔵の白糸威(おどしよろい)は国宝。御碕さん。

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日本歴史地名大系 「日御碕神社」の解説

日御碕神社
ひのみさきじんじや

[現在地名]大社町日御碕

島根半島の北西端、日御碕に鎮座する。日本海に西面した権現造の社殿(地割図一九枚ほかとともに国指定重要文化財)は、かみノ宮(上宮)日沈ひしずみ(下宮)からなり、西の日光といわれる。主祭神は神ノ宮が神素盞嗚尊、日沈宮が天照大日貴。旧国幣小社。社伝によると、神ノ宮は背後かくれヶ丘にあったものを現在地に移し、天暦二年(九四八)北西方のふみ(現経島)にあった日沈宮を現在地に移したという。この社伝を信頼するなら、神ノ宮は「出雲国風土記」の出雲郡美佐伎みさき社、「延喜式」神名帳の御碕神社、日沈宮は風土記百枝槐ももええにす社に比定される。社名古代末期に日御崎社、中世は御崎社、室町―戦国期以後再び日御崎社と称し、明治四年(一八七一)国幣小社日御碕神社となる。三前社・三崎社とも記す。

〔杵築大社からの自立〕

古代末期には鰐淵がくえん寺と並ぶ独自の勢力を誇る修験の道場として知られ、「梁塵秘抄」に「聖の住所は何処何処ぞ、箕面よ勝尾よ播磨なる書写の山、出雲の鰐淵や日の御崎」と歌われたが、中世への移行に伴って杵築大社(出雲大社)の末社として組込まれ、祭神も杵築大明神(スサノオ)の御子(季女すなわち十羅刹女)とされた(永享一一年一一月日「日御崎社一神子重申状」日御碕神社文書、以下断りのない限り同文書、正平一〇年一月一一日「御崎社検校日置清政起請文」千家家文書、「雲陽誌」など)。御崎社の検校日置氏も杵築大社の神官一角を構成し(宝治元年一〇月日「杵築大社神官連署解状」鰐淵寺文書)、そうした立場から正月一三日の宮廻神事、七月七日の七夕神事、一〇月一八日の神上神事など杵築大社の年中行事のうちの重要な一角を担った(正平八年三月二日「日御崎社検校契約条々案」・応永三一年「杵築大社両国造雑掌目安状案」千家家文書など)

これに対し、御崎社側では南北朝期頃から杵築大社からの自立を目指す動きが現れはじめ、観応二年(一三五一)二月四日には某が大社国造に替わって直接日置清政を御崎社検校職に補任しているが(「某補任状」小野家文書)、某を出雲守護佐々木高氏(京極高氏)とする見解がある。

日御碕神社
ひのみさきじんじや

[現在地名]中山町御崎

日本海に突出した岬に鎮座。旧村社。祭神は天照大日貴尊・素盞嗚尊・大山祇命など。東側の崖に修行をした滝があり、滝さんと通称される。明和四年(一七六七)の八橋郡神社改帳(県立博物館蔵)に日御碕大神宮とみえ、祭礼九月一一日、社三尺四方、社地一二間×六間とあり、舞殿もあった。文久二年(一八六二)の八橋郡村々諸事書上帳(峰地家文書)によれば、祭神は出雲国の日御碕神社(現島根県大社町)と同体とされている。当社の社司小野氏が故あって当地に来住し、天長年中(八二四―八三四)から三代の間、社地続きの検校けんぎよう屋敷に居住し神明奉仕を続けたという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日御碕神社」の意味・わかりやすい解説

日御碕神社
ひのみさきじんじゃ

島根県出雲(いずも)市大社町日御碕に鎮座。2社からなり、下(しも)の宮(日沈宮(ひしずみのみや))に天照大御神(あまてらすおおみかみ)、上(かみ)の宮(神の宮)に神素盞嗚尊(かんすさのおのみこと)を祀(まつ)る。創立は古く、下の宮は経島(ふみしま)から、上の宮は社の後方の隠丘(かくれがおか)から移されたという。『出雲国風土記(いずものくにふどき)』に美佐伎社(みさきのやしろ)、『延喜式(えんぎしき)』に御碕神社とみえ、朝野の尊崇が厚く、中世の社領は4000石に達した。近世は所領が減じたが、のち漸増し、1868年(明治1)当時1285石を保有した。旧国幣小社。権現(ごんげん)造の社殿は1644年(正保1)に幕府直轄工事として建立され、内部には狩野(かのう)・土佐派の豪華な壁画があり、重要文化財に指定されている。例祭(神幸神事)は8月7日。また、天葺根命(あめのふきねのみこと)(素盞嗚尊の子)が天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を天照大御神に奉った故事による神剣奉天(しんけんほうてん)神事(12月31日)、ウミネコが神社の欄干に海草を三度くわえてきたのを神前に供えたのに始まるという和布刈(めかり)神事(旧正月5日)などの古伝祭がある。国宝の白糸威鎧(しろいとおどしのよろい)1領、国指定重要文化財の藍韋威(あいかわおどしの)腹巻1領を所蔵する。

[平井直房]


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改訂新版 世界大百科事典 「日御碕神社」の意味・わかりやすい解説

日御碕神社 (ひのみさきじんじゃ)

島根県出雲市の旧大社町日御碕に鎮座。上下の二宮よりなり,上の宮に神素盞嗚(かんすさのお)尊(素戔嗚尊)をまつり,下の宮(日沈(ひしずみ)宮)に天照大日孁貴(あまてらすおおひるめのむち)(天照大神)をまつる。創建年代不詳。社伝では,上の宮は素戔嗚尊が出雲国より根の国に渡ってのち,柏の葉をとり〈わが魂はこの葉の止まる所に住まん〉といって投げたところ,風に吹かれて現社地背後の隠ヶ丘(かくれがおか)に止まったので,そこに天葺根(あめのふきね)命が奉斎したことに始まり,のち安寧天皇のとき現在地に移したと伝える。下の宮は現社地に近い海岸の文島(ふしま)(経島(ふみじま),日置島(ひおきじま)ともいう)に鎮座していたのを948年(天暦2)現在地に遷座したという。延喜の制では小社であるが,朝野の崇敬をうけ,江戸幕府は朱印領600石をよせた。天葺根命の子孫という小野氏が代々奉仕する。旧国幣小社。例祭8月7日。ほかに1月3日神寄(およせ)神事,1月11日釿始(ておのはじめ)神事,旧1月5日和布刈(めかり)神事等,古伝の祭りが多い。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日御碕神社」の意味・わかりやすい解説

日御碕神社
ひのみさきじんじゃ

島根県出雲市にある元国幣小社。同じ境内地で上下2社に分かれる。上社は「神の宮」と称され,祭神はスサノオノミコトほか3柱。下社は「日沈宮 (ひしずみのみや) 」と称され,祭神はアマテラスオオミカミほか5柱。『出雲国風土記』に「美佐伎社」とみられ,『延喜式』には「御碕神社」と記録されている。鎌倉時代以降は幕府の崇敬を受け,近世には出雲国第2の大社であった。社宝にかぶと,大袖のそろっている 14世紀の白糸威 (おどし) の鎧1領があり,国宝。胴の胸部の染革に珍しい図柄として,不動尊二童子像が描かれている。

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百科事典マイペディア 「日御碕神社」の意味・わかりやすい解説

日御碕神社【ひのみさきじんじゃ】

島根県大社町(現・出雲市)日御碕に鎮座。旧国幣小社。下の本社に天照大神,上の本社に素戔嗚(すさのお)尊をまつる。素戔嗚尊の子天葺根(あめのふきね)命の創建と伝える。延喜式内社とされ,修験の道場として知られた。例祭のほかに和布刈(めかり)神事(旧正月5日)などがある。国宝の白糸威鎧,重要文化財の権現造の社殿などがある。
→関連項目日御碕和布刈神事

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デジタル大辞泉プラス 「日御碕神社」の解説

日御碕(ひのみさき)神社

島根県出雲市、島根半島西端の日御碕にある神社。上の宮「神の宮」と下の宮「日沈宮(ひしずみのみや)」の上下2社からなり、それぞれ素盞嗚尊(すさのおのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祭神とする。延喜式内社。地元では「みさきさん」とも呼ばれる。徳川家光の命で建てられた権現造の社殿は重要文化財、白糸威甲冑は国宝に指定。

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世界大百科事典(旧版)内の日御碕神社の言及

【日置部】より

…地上の聖火は天上の日神よりもたらされるがゆえに,日置氏は日神祭祀にかかわるようになったらしい。伊勢の斎宮の付近に日置氏が分布し,日置田が置かれていたり,また東の伊勢に対して落日西海の地にあるとして,日沈宮(ひしずみのみや)と称された出雲の日御碕(ひのみさき)神社の神官が日置一族であった。このことは,日置氏が文字どおり太陽祭祀にかかわりある氏族であり,日置部が日祀部(ひまつりべ)とともに古代天皇の日神的権威を奉斎し,全国に鼓吹することを職掌とした宗教的部民であったと考えられる。…

※「日御碕神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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