出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
島根半島の北西端、日御碕に鎮座する。日本海に西面した権現造の社殿(地割図一九枚ほかとともに国指定重要文化財)は、
古代末期には
これに対し、御崎社側では南北朝期頃から杵築大社からの自立を目指す動きが現れはじめ、観応二年(一三五一)二月四日には某が大社国造に替わって直接日置清政を御崎社検校職に補任しているが(「某補任状」小野家文書)、某を出雲守護佐々木高氏(京極高氏)とする見解がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
島根県出雲(いずも)市大社町日御碕に鎮座。2社からなり、下(しも)の宮(日沈宮(ひしずみのみや))に天照大御神(あまてらすおおみかみ)、上(かみ)の宮(神の宮)に神素盞嗚尊(かんすさのおのみこと)を祀(まつ)る。創立は古く、下の宮は経島(ふみしま)から、上の宮は社の後方の隠丘(かくれがおか)から移されたという。『出雲国風土記(いずものくにふどき)』に美佐伎社(みさきのやしろ)、『延喜式(えんぎしき)』に御碕神社とみえ、朝野の尊崇が厚く、中世の社領は4000石に達した。近世は所領が減じたが、のち漸増し、1868年(明治1)当時1285石を保有した。旧国幣小社。権現(ごんげん)造の社殿は1644年(正保1)に幕府直轄工事として建立され、内部には狩野(かのう)・土佐派の豪華な壁画があり、重要文化財に指定されている。例祭(神幸神事)は8月7日。また、天葺根命(あめのふきねのみこと)(素盞嗚尊の子)が天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を天照大御神に奉った故事による神剣奉天(しんけんほうてん)神事(12月31日)、ウミネコが神社の欄干に海草を三度くわえてきたのを神前に供えたのに始まるという和布刈(めかり)神事(旧正月5日)などの古伝祭がある。国宝の白糸威鎧(しろいとおどしのよろい)1領、国指定重要文化財の藍韋威(あいかわおどしの)腹巻1領を所蔵する。
[平井直房]
島根県出雲市の旧大社町日御碕に鎮座。上下の二宮よりなり,上の宮に神素盞嗚(かんすさのお)尊(素戔嗚尊)をまつり,下の宮(日沈(ひしずみ)宮)に天照大日孁貴(あまてらすおおひるめのむち)(天照大神)をまつる。創建年代不詳。社伝では,上の宮は素戔嗚尊が出雲国より根の国に渡ってのち,柏の葉をとり〈わが魂はこの葉の止まる所に住まん〉といって投げたところ,風に吹かれて現社地背後の隠ヶ丘(かくれがおか)に止まったので,そこに天葺根(あめのふきね)命が奉斎したことに始まり,のち安寧天皇のとき現在地に移したと伝える。下の宮は現社地に近い海岸の文島(ふしま)(経島(ふみじま),日置島(ひおきじま)ともいう)に鎮座していたのを948年(天暦2)現在地に遷座したという。延喜の制では小社であるが,朝野の崇敬をうけ,江戸幕府は朱印領600石をよせた。天葺根命の子孫という小野氏が代々奉仕する。旧国幣小社。例祭8月7日。ほかに1月3日神寄(およせ)神事,1月11日釿始(ておのはじめ)神事,旧1月5日和布刈(めかり)神事等,古伝の祭りが多い。
執筆者:鎌田 純一
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…地上の聖火は天上の日神よりもたらされるがゆえに,日置氏は日神祭祀にかかわるようになったらしい。伊勢の斎宮の付近に日置氏が分布し,日置田が置かれていたり,また東の伊勢に対して落日西海の地にあるとして,日沈宮(ひしずみのみや)と称された出雲の日御碕(ひのみさき)神社の神官が日置一族であった。このことは,日置氏が文字どおり太陽祭祀にかかわりある氏族であり,日置部が日祀部(ひまつりべ)とともに古代天皇の日神的権威を奉斎し,全国に鼓吹することを職掌とした宗教的部民であったと考えられる。…
※「日御碕神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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