日本大百科全書(ニッポニカ) 「安保直実」の意味・わかりやすい解説
安保直実
あぼただざね
生没年不詳。南北朝時代の武将。光泰(みつやす)の二男。武蔵(むさし)国賀美(かみ)郡元阿保(もとあぼ)(埼玉県児玉郡神川町)を本貫地とし、高師直(こうのもろなお)に従い活躍した。1335年(建武2)の四条河原(しじょうがわら)合戦では師直から感状と太刀(たち)を与えられている。1340年(興国1・暦応3)父光泰より安保郷屋敷、出羽海辺余部(でわあまべあまるべ)郡などを得た。しかし武蔵安保郷屋敷には代官を派遣していたらしく、自身は京都四条東洞院(とういん)付近に居住した。師直の影響を受けてか「婆娑羅(ばさら)」を尽くし、祇園社顕詮(ぎおんしゃけんせん)らと何度も闘茶(とうちゃ)を行っている(八坂神社記録)。また播磨(はりま)国(兵庫県)大部庄(おおべのしょう)にも乱入し「悪党(あくとう)」ともよばれた。1351年(正平6・観応2)賀茂河原(かもがわら)で秋山光政と一騎打ちをして一躍「ばさら絵」に取り上げられた(太平記)。師直死後、播磨に下向し、在田上庄(ありたかみのしょう)に乱入、山名氏に敗れている。法名は信禅。
[伊藤一美]
『伊藤一美著『武蔵武士団の一様態――安保氏の研究』(1981・文献出版)』