朝日日本歴史人物事典 「安藤太郎」の解説
安藤太郎
生年:弘化3.4.8(1846.5.3)
明治期の外交官。禁酒運動家。字は忠経。父安藤文沢は現在の埼玉県毛呂山町出身,鳥羽藩医で種痘の先駆者,母は松。太郎は漢学を安井息軒,蘭学を坪井芳州,英学を箕作秋坪に学び,海軍操練所,陸軍伝習所に入り江戸幕府の騎兵となる。戊辰戦争で榎本軍に投じ五稜郭で降り禁固1年。大蔵省に出仕,外務省に転じ岩倉遣外使節団に4等書記官として随行。香港副領事,上海総領事を経てハワイ総領事のときに受洗。榎本武揚逓相からの酒樽を文子夫人(荒井郁之助の妹)が馬丁に割らせたのを機に禁酒を断行。外務省初代移民課長。農商務省商工局長をやめ,以後キリスト教宣教と日本禁酒同盟会の運動に専念。<参考文献>『安藤記念教会七十年史』
(安岡昭男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報