安藤太郎(読み)あんどう・たろう

朝日日本歴史人物事典 「安藤太郎」の解説

安藤太郎

没年:大正13.10.27(1924)
生年:弘化3.4.8(1846.5.3)
明治期の外交官。禁酒運動家。字は忠経。父安藤文沢は現在の埼玉県毛呂山町出身,鳥羽藩医で種痘の先駆者,母は松。太郎は漢学安井息軒,蘭学を坪井芳州,英学を箕作秋坪に学び,海軍操練所,陸軍伝習所に入り江戸幕府の騎兵となる。戊辰戦争で榎本軍に投じ五稜郭で降り禁固1年。大蔵省に出仕,外務省に転じ岩倉遣外使節団に4等書記官として随行。香港副領事,上海総領事を経てハワイ総領事のときに受洗。榎本武揚逓相からの酒樽を文子夫人(荒井郁之助の妹)が馬丁に割らせたのを機に禁酒を断行。外務省初代移民課長。農商務省商工局長をやめ,以後キリスト教宣教と日本禁酒同盟会の運動に専念。<参考文献>『安藤記念教会七十年史』

(安岡昭男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の安藤太郎の言及

【禁酒運動】より

…ついで京都西本願寺の仏教学生による運動も起こった。88年ハワイ領事安藤太郎がハワイに禁酒会をつくり,90年には安藤,伊藤らによって日本で初めての日本禁酒同盟会が設立され,この組織が以降禁酒運動の中心となり,現在にいたっている。当初はキリスト教の影響下にあったのでキリスト教布教の手段との誤解があったため,1919年には禁酒運動そのものを追及する国民禁酒同盟が分離独立したが,翌年,日本国民禁酒同盟として両同盟は合同した。…

※「安藤太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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