改訂新版 世界大百科事典 「安藤氏」の意味・わかりやすい解説
安藤氏 (あんどううじ)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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安東氏とも。中世陸奥国津軽地方の豪族。安倍貞任(さだとう)の後裔といわれる。鎌倉時代には北条氏得宗(とくそう)家に仕えてその所領の代官を勤め,蝦夷管領(えぞかんれい)ともなる。鎌倉末期には,一族の内紛がさらに蝦夷の反乱をひきおこし,幕府滅亡の一因となった。その頃,上国(かみのくに)・下国(しものくに)の両家にわかれたといわれ,戦国期,下国家の愛季(ちかすえ)は上国家をも継承,秋田氏の祖となった。室町幕府奉公衆などにも安東氏がいるが,関係は不明。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…39年大久保氏と交替で播磨国明石から戸田氏が入部して7万石をはむ。1711年(正徳1)戸田氏は山城国淀へ移封され,備中国松山から安藤氏が入部。初代信友は将軍吉宗のもとで老中を務めたが,2代信尹の時代に家中騒動がおこり,1万5000石没収されて5万石となる。…
…直政は和田城の改修,城下町の整備に着手したが,1601年近江佐和山に移り,その後諏訪頼水の城代を経て,04年酒井家次が下総臼井から入封(5万石)。在城12年の間に大坂の陣に参戦,16年(元和2)越後高田に移り,代わって松平(戸田)康長,松平信吉が相次いで入城したがともに在城は短く,19年安藤重信が入って重長,重博と3代77年間安藤氏が在封した(5万6600石)。この時代に井伊氏以来の城郭の修築や城下町,伝馬町の建設などが進められ,35年(寛永12),さらに寛文初年(1660年代)に領内の総検地が実施されるなど,藩体制が名実ともに確立した。…
※「安藤氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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