改訂新版 世界大百科事典 「磐城平」の意味・わかりやすい解説
磐城平 (いわきたいら)
岩城平とも書く。陸奥国磐前郡(福島県浜通り)の城下町。夏井川の流域の沖積地に建設され発展した。1602年(慶長7)鳥居忠政が岩城氏除封後10万石で入封し,翌年赤目物見岡の飯野八幡宮跡地に築城し,城下町を建設したのに始まる。当初は,城周辺に侍屋敷,中間屋敷と足軽屋敷,寺町,職人・商人町が設けられ,商人町は一町目から三町目まで町割りされた。城郭の完成に12年を要したが,この期に各地から商人が集まり,藩内の物資の集散地として領域経済の中心地に成長した。22年(元和8)入封した内藤氏7万石の時代に,職人町は200軒を数え,商人町も一町目から五町目までに拡張された。1711年の《正徳元卯七月諸品覚書》によれば,家中(家族も含む)4456人,町内寺社門前498人,町人3325人,計8279人,町屋631戸を数えた。その後,井上氏・安藤氏の時代に至って城下はしだいに拡張されていったが,1761年(宝暦11)の吉田定顕《磐城枕友》によれば,街は広く二行の店を構え,交易品が飾り並べられ,毎月2,8日の六斎市が開かれ,近隣より人々が集まりにぎわった。とくに馬市の日には市内に入る馬数は763頭にも及んだ。また魚は小名浜などより馬で運ばれて安価で,城下に近い好間(よしま)川と夏井川の合流点ではアユ,マスが捕れ,周辺農村では五穀のほか絹,木綿も産して比較的豊かであったので,町民は風俗質朴,上下安寧であったという。1868年(明治1)戊辰戦争で城下は兵火に遭い城は落城,一時新政府の平(たいら)民政局が置かれて磐城国の大部分を統治した。83年城下を構成していた町村を合わせて平町となり,1937年平市,66年いわき市となった。
→磐城平藩
執筆者:青木 美智男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報