安裕(読み)あんゆう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「安裕」の意味・わかりやすい解説

安裕
あんゆう
(1243―1306)

朝鮮高麗(こうらい)朝の文臣、儒者。慶尚(けいしょう)道興州の人。裕は初名、のちに(きょう)と改名。朱子(しゅし)(晦庵(かいあん))を慕って晦軒と号す。朝鮮に初めて朱子学を紹介し、儒学再興に尽くした。当時、高麗はモンゴル侵略を受け、元(げん)に服属を余儀なくされた民族屈辱の時代であったが、彼は王について元朝に赴いた際、新しい儒学である朱子学を知り、自ら筆写してその説を自国に伝えた。衰退していた国子監(こくしかん)(国立大学)を整備し、儒生育英制度を設け、高麗末期の朱子学研究興隆の基礎を築いた。

[小川晴久 2016年10月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「安裕」の意味・わかりやすい解説

安裕 (あんゆう)
An Yu
生没年:1243-1306

朝鮮,高麗の文臣,学者。名は珦,字は士蘊。順興の人。李朝時代,王の諱(いみな)を避け安裕と呼ばれた。官は都僉議中賛に至る。忠烈王のとき,高麗儒学提挙となり,王に従って元の燕京北京)に赴いたが,《朱子全書》を筆写して帰国し,朱子学を初めて朝鮮にもたらした。学校の整備など文教振興に努力,晩年はつねに朱熹の像を飾って敬慕し,朱熹の号(晦庵)から1字とり晦軒と号した。諡号(しごう)は文成。
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世界大百科事典(旧版)内の安裕の言及

【高麗】より

…朱子学の受容である。13世紀後半に安裕が元に留学し朱子学を学んで帰ってから,朱子学が高麗に広まり,白頤正,李斉賢,李崇仁,李穡(りしよく),鄭夢周,吉再,鄭道伝,権近らの朱子学者が輩出した。朱子学は仏教や訓詁を主とする伝統儒学にあきたらぬ新興官僚に歓迎され,彼らの精神的支柱になった。…

※「安裕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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