日本歴史地名大系 「宗安寺跡」の解説 宗安寺跡そうあんじあと 高知県:香美郡物部村久保村宗安寺跡[現在地名]物部村久保堂ノ岡上韮生(かみにろう)川に安野尾(やすのお)川が流れ込む付近の西岸、久保堂(くぼどう)ノ岡(おか)にあった寺院で、本尊の薬師如来は行基作と伝える。江(え)ノ口(くち)村(現高知市)の瑞応(ずいおう)寺の末寺で、青龍山と称したが、青立山とも記される。明治四年(一八七一)廃寺となった。延文元年(一三五六)頃久保(窪)貞吉が阿波から移って韮生山に定住、城を築いて城外に東光山青龍(せいりゆう)寺を建て、久保家伝来の尊像を祀ったのに始まると伝える。「南路志」には「寺記云、開基窪新助、天正年建立、後回禄度々由緒不知也、寺地ホノキ東ヤシキ」と記し、所載の久保村久保平助所蔵文書に、天正一五年(一五八七)窪平忠政の建立で寺床寺領田畠九反二五代、寺は三間に六間半で茅葺、大門があるといい、末尾に「当寺開山鳳瑞麟蹄敬白」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by