宗義真 (そうよしざね)
生没年:1639-1702(寛永16-元禄15)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
Sponserd by 
宗義真
没年:元禄15.8.7(1702.8.29)
生年:寛永16.11.18(1639.12.12)
江戸前期の対馬府中藩主。父は義成,母は日野氏。江戸下谷の生まれ。幼名彦満。明暦1(1655)年従四位下,播磨守に任じられ,同3年襲封。侍従,対馬守となる。寛文年間(1661~72),知行制度の改革や役所機構の整備を行う。朝鮮貿易の好調を背景に,土木・建築事業,藩士知行の格上げなどを進め,また雨森芳洲,松浦霞沼ら優秀な学者を招聘した。しかし元禄末年から朝鮮貿易は下降線となり,義真の代に形成された格式はその後の藩財政の桎梏となった。元禄5(1692)年跡を息子義倫に譲り隠居したが,同7年義倫が没し年少の義方が跡を継ぐと,朝鮮関係の役儀を司るよう幕府から命じられ,同14年まで務めた。隠居後は刑部大輔と称した。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
Sponserd by 
宗義真 そう-よしざね
1639-1702 江戸時代前期の大名。
寛永16年11月18日生まれ。宗義成(よしなり)の子。明暦3年対馬(つしま)(長崎県)府中藩主宗家3代となる。藩政改革をすすめ,城下町の建設,朝鮮釜山の倭館の移転などを実現させる。銀山開発と朝鮮貿易を振興して西国の長者といわれた。元禄(げんろく)15年8月7日死去。64歳。通称は彦満。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
宗義真 (そうよしざね)
生年月日:1639年11月18日
江戸時代前期;中期の大名
1702年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
Sponserd by 