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倭館 わかん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

倭館
わかん

李氏朝鮮政府 (→朝鮮王朝 ) が日本からの通交特使のために設けた客館。漢城府に2館と入港指定地である乃而浦釜山浦,塩浦三浦所にあり,外交使節の接待貿易の管理にあたった。慶長 14 (1609) 年以後は,日本人使節の漢城府入京が禁止されたため,漢城府の2つの倭館は廃止され,浦所の倭館だけが,明治維新まで存続した。 (→日鮮貿易 )  

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デジタル大辞泉の解説

わ‐かん〔‐クワン〕【×倭館/和館】

15世紀、李氏朝鮮が日本使節の接待および貿易管理のため、漢城(ソウル)・乃而浦(ないじほ)・釜山浦・塩浦に設けた建物。三浦(さんぽ)の乱により閉鎖されたが、1609年釜山浦に再設。

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百科事典マイペディアの解説

倭館【わかん】

朝鮮の李朝時代に日本からの通交者を接待するため,漢城(ソウル)および浦所(ほしょ)(入泊指定港)に設けられた客館。日本では和館とも。李朝初期は慶尚道沿岸各地で自由に入泊できたが,15世紀初頭薺浦(せいほ)(乃而浦(ないじほ)。
→関連項目己酉約定東莱[温泉]

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世界大百科事典 第2版の解説

わかん【倭館】

日本からの使客接待のために朝鮮に設けられた建物。室町期には三浦(富山浦,薺浦(せいほ),塩浦)と漢城(現在のソウル)に,江戸期には富山浦(現在の釜山)のみに置かれた。室町期の日朝貿易は外交使節往来の形式をとり,日本各地からの渡航使者は三浦で朝鮮側役人による書契図書・文引などの検察をうけ,倭館(東平館・西平館の2館に分かれる)に入宿し,使節の格に応じて朝鮮側の接待をうけた。そのあと上京の途につき,途中の宿泊地でも接待をうけながら漢城の倭館に入宿,ここでも接待をうけ,さらに王宮で朝鮮国王の謁見をうけたりした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

倭館
わかん

15世紀、李氏(りし)朝鮮の初期、日本から通交のため朝鮮に渡航した日本人を接待した客館。これは三浦(さんぽ)(薺浦(せいほ)=乃而(だいじ)浦、釜山(ふざん)浦、塩(えん)浦)のほか漢城(ソウル)にも設けられた。漢城倭館の施設として東平館と西平館が知られている。この倭館で貿易が行われた。その方法は、倭船が浦所へ着くと、慶尚道観察使が積載物貨の名称と数量を検査し、駅馬を利用して日本人を漢城へ送る。渡航した日本人は朝鮮国王に拝謁し、書契と進物を呈し、国王から回賜を受け、朝鮮政府の指定した期日と方法によって倭館で貿易を行う。その意味で、倭館は貿易の場でもあった。また、彼らの滞在中の費用は朝鮮側が負担した。漢城の倭館は、1609年(慶長14)日本使節の上京が禁ぜられて廃止となり、浦所の倭館のみが残り明治に至った。[北島万次]
『中村栄孝著『日鮮関係史の研究 上』(1969・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の倭館の言及

【日朝貿易】より

…これによって,日朝間に占める宗氏の位置は決定的なものとなり,一方,諸大名・豪族等の勢力が後退して,それらの名義を借りた偽使が対馬から派遣される状態になっていった。日本からの渡航者は,はじめ南沿岸の浦所に随時停泊して交易を行うことを許されていたが,これもやがて朝鮮側が開港場を指定し,そこに応接所兼交易所(倭館)を設けて,他港への出入りを禁じた。開港場は,富山浦,薺浦(せいほ),塩浦の3ヵ所で,これを三浦(さんぽ)と称する。…

※「倭館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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