鎌倉・室町幕府において御家人の任官叙爵のことをつかさどった官職。任官奉行とも呼ばれた。源頼朝は御家人が直接に朝廷から官職を得ることを禁止して頼朝が推挙する方針をとり,以後の幕府も原則としてこの政策をうけついで,任官叙爵も幕府の御恩の一つとなったが,初めのうちはその実務を行う特別の官は置かなかった。しかし成功(じようごう)銭のことなどで叙任に問題があり,13世紀半ばの建長のころには清原満定が奉行としてこれに当たっており,その後評定衆の中から官途奉行が任命されている。初期室町幕府でもこの政策が継承されたようで,足利尊氏・直義の二頭政治のころには,直義の指揮下で任官奉行二階堂行秀が朝廷との折衝に当たっている。将軍義満のころには摂津満親がこれに任じられ,のち摂津氏の家職のようになった。
執筆者:福田 豊彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報