精選版 日本国語大辞典 「宝生院」の意味・読み・例文・類語 ほうしょう‐いんホウシャウヰン【宝生院】 名古屋市中区門前町にある真福寺(大須観音)の院号、また別称。ほうじょういん。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本歴史地名大系 「宝生院」の解説 宝生院ほうじよういん 愛知県:名古屋市中区門前町宝生院[現在地名]中区大須二丁目北野山と号し、真言宗智山派。本尊は木造正観音菩薩立像。真福(しんぷく)寺ともいい、大須(おおす)観音の名で親しまれる(寺社志)。初め中島郡大須(おおす)庄北野(きたの)村(現岐阜県羽島市)にあって宝生坊と称したらしい。伊勢大神宮の神職度会行家の子能信が密法を伝えるべく宝生坊に住し、一寺を創建して真福寺と名付けた(御城下天台真言寺院由緒帳)。正平五年(一三五〇)後村上天皇の祈願所となり、文和元年(一三五二)勅により摂津国四天王(してんのう)寺から伝空海作正観音像を移して本尊とした。 宝生院ほうしよういん 香川県:小豆郡土庄町上庄村宝生院[現在地名]土庄町上庄皇踏(おうと)山麓、上庄の北山(かみしようのきたやま)集落にあり、宝永五年(一七〇八)の島中寺社方由緒帳(松浦文書)に「寺開基之儀、往古知不申候、尤も後小松院御宇応永年中、増吽僧正中興にて御座候」とあり、虚空蔵(こくぞう)院(現大川郡大内町与田寺)の増吽が中興したと伝える。皇踏山吉祥(きつしよう)寺と号し、高野山真言宗、本尊地蔵菩薩。宝暦明細帳には京都大覚寺門跡の院室で、普賢院とある。大覚寺の中本寺で格式も高く、前掲由緒帳によれば、当時、福田(ふくだ)(現内海町)、土庄・淵崎(ふちざき)・小海(おみ)・肥土山(ひとやま)・大部(おおべ)各郷のほとんどの寺が当寺末寺となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「宝生院」の意味・わかりやすい解説 宝生院ほうじょういん →大須観音 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の宝生院の言及 【真福寺】より …名古屋市中区にある真言宗智山派の寺。山号は北野山宝生(ほうじよう)院。当初は大須庄(現在の岐阜県羽島市)にあり,伝空海作の観音像を本尊としたので大須観音ともよばれる。… ※「宝生院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by