物真似(読み)モノマネ

デジタル大辞泉の解説

もの‐まね【物真似】

人や動物などの身ぶり・しぐさ・声音などをまねること。また、その芸。
能・狂言その他の芸能で、ある役に扮(ふん)してその所作をまね、それらしく演技すること。

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大辞林 第三版の解説

ものまね【物真似】

( 名 ) スル
動物や人の声・態度・動作などをまねること。また、それを行う芸。 「 -がうまい」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

物真似
ものまね

自分以外の人間、動物、器物の音声や形態を、自分の声や身ぶりでなぞること。また狭義には、そういう物真似を演じて見せるをいう。
 他者をなぞるこの物真似という模倣本能は、環境への適応に死活がかかる生物一般のものであるが(昆虫の擬態(ミミクリー)など)、とくに自己と他者の関係を鋭く意識することでできあがっている人間社会のなかで、物真似は文化を解くキーワードとなってきた感さえあるといえる。人間文化は周囲の自然との乖離(かいり)を進歩の指針とし、ひとりひとりの人間は周囲の人間との違いを個性化とよぶことで進んできたが、そうした進歩の見返りとして、自然、動物、他の人間といった他者と鋭く対立する人間個人の孤独、生き生きした宇宙とのつながりから断たれた孤立という現象がおきてきた。文明化、都市化に伴うこの孤独から身を守ろうとする個体は、さまざまなまねる営みをくふうすることで、世界との失われた一体感を回復しようとしているのだと考えられる。
 物真似の起源は模倣呪術(じゅじゅつ)とか類似呪術とかよばれる呪術的な物真似にあった。たとえばフランスの社会学者L・レビ・ブリュールが未開民族の習俗にみいだした「融即」participationという状態がその極致で、部族のトーテムたる鳥獣の物真似をしている踊り手は、その瞬間、その鳥獣をまねているのではなくて、人でありながらすなわち鳥獣であるという形で、矛盾律によってたつ近代人の論理をあっさり超越してしまっている。こうしたトーテミズムの舞踏、精霊や死者の物真似、呪術的・宗教的な仮装や仮面、わが国の民俗芸能にみる農耕の物真似、獅子舞(ししまい)や鹿踊(ししおどり)などなど、共同体と聖なるものとのつながりを確認させるための民俗の知恵である。模倣芸を行うギリシアの芸人「ミメ」mimeも元来はそうした呪術的な物真似をする人間をいい、のちには模倣一般をさすことになる「ミメーシス」も元来はミメたちの呪術的行為をいった。日本で最初に物真似が言及される『日本書紀』の海幸(うみさち)・山幸(やまさち)説話でも、そこで物真似を行う「俳優(わざおぎ)」は神々をも楽しませる宇宙的次元をもった存在であったはずである。
 トーテム模倣は未開の風俗だが、われわれの周囲にも、孤独な個体が「あたかも……のごとく」という見立ての約束を通じて一時的に他者になるくふうがある。広くプレイ(遊び、演技)とよばれる営みがそれで、物真似の営みが遊び論、演劇起源論のなかで論じられることが多いのはそのためである。子供のするままごとや兵隊ごっこといった「……ごっこ」の遊びは、母親や兵隊の物真似をする「あたかも……のごとく」という見立てや「振り」の構造において、そっくり演劇の起源にも通じている。他者に扮(ふん)してそれらしくまねしようとすることが俳優術の基本であろう。アリストテレスの『詩学』の悲劇論のなかで、「ミメーシス(模倣)」が取り上げられており、世阿弥(ぜあみ)の『風姿花伝』にも、「物学(ものまね)条々」としてさまざまな役柄の演技のあり方が論じられている。また、自己と他者の関係の微妙な揺れのうえに成立する演劇のあり方を、双子の主題や変装や仮面という小道具を使って主題化したのがバロック演劇であるともいえよう。日本では芸能としての物真似は南北朝時代に現れ、能楽、歌舞伎(かぶき)(とくに猿若(さるわか)の独狂言(ひとりきょうげん))のなかで大成されている。物真似自体が鑑賞の対象になる演劇形式にはミムス、マイム、パントマイム、黙劇(ダム・シヨー)、身振り狂言があり、さらに役者の所作や声をまねる「物真似」「声色(こわいろ)」、動物や虫の音声をまねる「猫八芸」などの演芸に至る。
 さらに演劇自体が一社会全体をより正確にまねしようとして写実主義(リアリズム)演劇を生んでいくが、「芸というものは虚と実の皮膜(ひまく)の間にあるものなり」(近松門左衛門)といわれるように、行きすぎた模倣はかえって不自然となる。元のもの(オリジナル)をまねながら誇張やずれをつくって笑いを引き出すパロディーや戯画といった風刺文化の流行、真似のテクノロジーたる複製技術の独走、服飾や風俗などのファッションやテレビでの「物真似ショー」の瀰漫(びまん)、スーパーリアリズムという「行きすぎた模倣」の隆昌(りゅうしょう)など、現代は物真似過剰、擬似現実(シミュラークル)過剰の時代ともいえよう。しかし、まねることによって世界との失われた一体感を回復しようとする原点から逸脱したこれらの現象を前に、今われわれには自己と他者、独創性と複製技術の関係をめぐる真の反省が改めて必要とされている。[高山 宏]
『ロジェ・カイヨワ著、清水幾太郎・霧生和夫訳『遊びと人間』(1970・岩波書店) ▽ジャン・ボードリヤール著、今村仁司・塚原史訳『象徴交換と死』(1982・筑摩書房) ▽ジュディス・ウェクスラー著、高山宏訳『人間喜劇――19世紀パリの観相術とカリカチュア』(1987・ありな書房)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

もの‐まね【物真似】

〘名〙
① 人や動物などの声音・身振り・しぐさなどをまねること。また、その興行物。
※勘中記‐弘安元年(1278)一一月一八日「今様朗詠万歳楽、次物万禰、次列猿楽、次志免白拍子」
② 能・狂言その他の演劇で、ある人物に扮して、それらしく演技すること。真実らしく演ずること。
※風姿花伝(1400‐02頃)一「児の申楽に、さのみに細かなる物まねなどは、せさすべからず」
③ 特に、役者の声色(こわいろ)をまねること。役者のせりふまわしをまねること。また、その芸。こわいろ。声帯模写。
浄瑠璃・曾根崎心中(1703)「ものまね聞きにそれそこへ、戻ってみればむつかしい」
[語誌](1)事柄としては、「古事記」や「日本書紀」の隼人舞の起源説話にまでさかのぼることができ、「源氏‐手習」には「物まねび」の語が見える。
(2)②の意では世阿彌の能楽論に多く見られる。しかし、「もの」には、翁や鬼など超自然的な神や精霊に通じるニュアンスがあり、猿楽に起源をもち、面をつけることを基本にする世阿彌の場合、模写的な演技そのものというわけではない。
(3)「新猿楽記」などに見られる模写的な演技は、面をつけない狂言に受け継がれ、近世になって歌舞伎や浄瑠璃に取り入れられると、歌舞伎役者の声色のものまねがはやり、③の意を生じた。

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