実沢村(読み)さねざわむら

日本歴史地名大系 「実沢村」の解説

実沢村
さねざわむら

[現在地名]泉市寺岡てらおか一―三丁目・同六丁目・高森たかもり一―二丁目・南中山みなみなかやま一―五丁目・やかた一―三丁目・実沢

上谷刈かみやがり村の西、七北田ななきた川の河岸段丘上に立地し、村内を同川が北から東に湾曲して流れる。北東部は寺岡てらおか山、南西中山丘陵に続く。中世にはやま村と称する郷村に含まれ、南北朝期、山村は後醍醐天皇の皇子を擁する南朝方の一拠点となっていた(→山村豊臣秀吉のいわゆる奥州仕置ののち検地が実施されたが、当村の検地帳(仙台市博物館蔵)は天正一九年(一五九一)九月一〇日付で、田方・畠方の二冊に仕立てられている(畠方にはのちの小角村分を含む)。それによると田方は九五筆からなり、上田一一町七反余・分米一七六石九斗余、中田三町七反余・分米四八石六斗余、下田二町四反余・分米二七石二斗余、計一八町一畝余・分米二五二石七斗九升余。畠方(屋敷地を含む)は一〇二筆からなり、上畠五町一反余・分米五一石五斗余、中畠四町一反余・分米三一石四斗余、下畠八町余・分米四〇石二斗余、荒畠三反余・分米一石五斗余、屋敷一町一反余・分米一一石一斗余、計一八町八反三畝余・分米一三六石三升余。字名は田方では「さねさわ」が四二筆と半分近くを占め、他に「さねさわ城西田」「さねさわ南」「岩じ田」「ひわたし」「前田」「とい田」がある。

実沢村
さねざわむら

[現在地名]三春町実沢

富沢とみざわ村の東、青石あおいし村との北境をうつし川が西流する。水系的には移川流域に属し、独自の文化的風土を形成。永禄四年(一五六一)六月二三日の熊野山新宮年貢帳(仙道田村荘史)に「さねさわ」とみえ、天正一四年(一五八六)一〇月一三日の熊野山新宮年貢帳(青山文書)に「実沢」とみえ、式田三町・年貢一貫四〇〇文を上納。県道実沢―要田かなめた線に沿った実沢集落の南方開宝山かいほうざんに実沢館跡があり、古舘こたて神社が鎮座。慶安二年(一六四九)の三春領古城絵図(三春町史)には「城主実沢山城 根廻り四百六十間 高廿弐間」、本丸は「竪四十間 横十八間」「竪廿四間 横拾間」の丁字形に記される。

近世領主の変遷は会津領から寛永二〇年(一六四三)幕府領白河藩預、正保二年(一六四五)以降三春藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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