宮古湾・宮古湊
みやこわん・みやこみなと
重茂半島の先端閉伊崎と、館ヶ崎に抱かれた約二〇平方キロの海面とその湾奥に開かれた湊。東岸は閉伊崎から津軽石川に至る断層線に沿って水深がふかく、西岸は津軽石川・八木沢川・閉伊川などが流入、土砂の堆積をみる。重茂・赤前・金浜・高浜・磯鶏・宮古・鍬ヶ崎などの集落によって囲まれ、閉伊浦ともよばれた。正保国絵図には「宮古湊、湊口広拾六丁、深所壱丈五尺、舟掛自由、但北風之時ハ舟掛悪、此湊より久慈湊迄海上道規十四里之間岩続荒磯」とある。湾岸にある宮古・鍬ヶ崎の二つの町は閉伊沿岸産出の海産物の移出と江戸・蝦夷松前渡海船の絶好の停泊地で、廻船問屋、海産物の仲買商人たちが軒を並べた。「雑書」正保四年(一六四七)四月五日条には「宮古浦にて、江戸より津軽までの通船改」の記事が載っており、太平洋岸航路の進展にともない、絶好の中間寄港地として上下商船によって賑いをみせたことが知れる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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