宮崎恭子(読み)ミヤザキ ヤスコ

20世紀日本人名事典 「宮崎恭子」の解説

宮崎 恭子
ミヤザキ ヤスコ

昭和・平成期の演出家,脚本家 無名塾主宰。



生年
昭和6(1931)年5月15日

没年
平成8(1996)年6月27日

出生地
長崎県長崎市

本名
仲代 恭子

旧姓(旧名)
宮崎

別名
筆名=隆 巴(リュウ トモエ)

学歴〔年〕
女子学院〔昭和25年〕卒,俳優座養成所(第2期生)〔昭和28年〕卒

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞(優秀賞)〔昭和55年〕「ソルネス」

経歴
昭和29年小沢昭一らと劇団新人会を結成、「森は生きている」などに出演。32年小沢らと俳優小劇場を結成。この間、NHK「バス通り裏」など次々とラジオやテレビのドラマに出演するが、32年に俳優・仲代達矢と結婚し、引退。40年ごろから、隆巴の筆名で「釣忍」などの脚本を書き始め、52年からは「令嬢ジュリー」などの演出も手がける。また50年11月から自宅に若い俳優たちの為の“無名塾”を開いて新人の育成に当たり、隆大介・役所広司・若村麻由美・渡辺梓・田中実らを送り出した。他の演出作品に「オイディプス王」「どん底」「プァー・マーダラー」「ルパン」「肝っ玉おっ母と子供たち」「リチャード三世」「ソルネス」、出演作に「ハロルドとモード」など。主な脚本に「樅の木は残った」(テレビ)、「いのちぼうにふろう」(映画)、戯曲に「渋谷怪談」「ルパン」、著書に「大切な人」「仲代達矢さま おいしい人生をありがとう」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮崎恭子」の解説

宮崎恭子 みやざき-やすこ

1931-1996 昭和後期-平成時代の演出家,脚本家。
昭和6年5月15日生まれ。昭和28年俳優座養成所を卒業して舞台にたつ。32年仲代達矢と結婚。のち隆巴(りゅう-ともえ)の筆名で「樅ノ木は残った」などの脚本をかき,「令嬢ジュリー」「ソルネス」などの演出も手がける。50年夫とともに無名塾をひらき塾長となった。平成8年6月27日死去。65歳。東京出身。女子学院卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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