京都府宮津地方の民謡。宮津は江戸中期以降、本庄(ほんじょう)氏7万石の城下町で、また宮津港は帆船時代には出船入船でにぎわっていた。人々の往来も激しく、江戸・吉原を模した遊廓(ゆうかく)もある港町として発展してきた。ここの花柳界で、諸国の人々を相手に芸妓(げいぎ)衆がお座敷唄(うた)として歌ってきたもので、各節の後ろに「丹後(たんご)の宮津でピンと出した」の囃子詞(はやしことば)がつく。この唄は船乗りや旅人たちにより各地へ伝えられ、江戸末期には日本中の花柳界で流行した。『宮津節』は「宮津おどり」のなかにある3曲の組曲の一つで、ほかの2曲は『松坂踊り』と『アイヤエ踊り』である。以前この3曲は個々に歌われていたが、1955年(昭和30)ごろ組曲としてまとめられ、お座敷芸としても踊られている。
[斎藤 明]
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...