20世紀日本人名事典 「宮田重雄」の解説
宮田 重雄
ミヤタ シゲオ
昭和期の洋画家
- 生年
- 明治33(1900)年10月31日
- 没年
- 昭和46(1971)年4月28日
- 出生地
- 愛知県名古屋市船入町
- 学歴〔年〕
- 慶応義塾大学医学部〔大正14年〕卒
- 学位〔年〕
- 医学博士〔昭和7年〕
- 経歴
- 中学時代から絵を描きはじめ、中川一政の知遇を受けて春陽会に出展し、大正12年初入選。その後梅原龍三郎に師事して国展に移る。昭和2年パリに留学し、パスツール研究所で破傷風などの血清研究のかたわら絵を描く。獅子文六の新聞小説「自由学校」「箱根山」のさし絵を担当し、NHKラジオ「二十の扉」のレギュラー回答者を務めた。また昭和11年横光利一に勧められ、いとう句会に入会、久保田万太郎に師事。戦後チャーチル句会を主宰するなど多方面で活躍した。代表作に「雲崗石仏」「微笑仏」、著書に「ユトリロ」「大同小異」「さんどりゑ」「竹頭帖」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報