日本歴史地名大系 「宿原村」の解説 宿原村しゆくはらむら 兵庫県:三木市宿原村[現在地名]三木市宿原・自由(じゆう)が丘本町(おかほんまち)一―三丁目・さつき台(だい)一―二丁目志染(しじみ)川を挟んで与呂木(よろき)村の南に位置する。慶長国絵図に村名がみえる。江戸時代の領主の変遷は長屋(ながや)村と同じ。正保郷帳では田方四九七石余・畑方一三九石余。元禄郷帳では高七二六石余。嘉永五年(一八五二)成立の「三木郡志」では高七二七石余、田数四四町五反余、家数八五・人数三六三、牛三三。八幡宮(現八幡社)、禅宗常厳(じようごん)寺(現曹洞宗)などがあり、ほかに大日堂(現大日社)・薬師堂があった。当村では嘉永五年溜池が新築されたが、慢性的な用水不足に悩まされた。その後四ヵ所に溜池を新築したが解消せず、明治一九年(一八八六)当村の吉田太右衛門が新溜池造成に着手、翌年竣工した。 宿原村しゆくばらむら 千葉県:君津市旧周淮郡地区宿原村[現在地名]君津市宿原大岩(おおいわ)村の南、小糸(こいと)川上流に位置する。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高八三石余。寛永一八年(一六四一)から市宿(いちじゆく)村と同じく旗本曾根領。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では家数三一。字三島(みしま)に三島神社がある。字上(うえ)ノ台(だい)に真言宗智山派真蔵(しんぞう)寺があったが、明治四三年(一九一〇)大岩の宝性(ほうしよう)寺に合併(寺院明細帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by