日本大百科全書(ニッポニカ) 「富士筑波伝説」の意味・わかりやすい解説
富士筑波伝説
ふじつくばでんせつ
『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』にみえる伝説。神祖(みおや)の神が諸神のもとを巡る途中で、富士の山に着いた。宿を求めると、富士の神は新嘗(にいなめ)の物忌みを理由に断った。これを恨んで神祖は、この山は年中雪霜が降っていて寒く、それに登る人もなく供物もないとののしった。次に筑波の山に行くと、筑波の神は新嘗の夜にもかかわらず歓待してくれた。神祖の神は喜んで、歌を詠んで祝福した。それでいまでも、富士の山はいつも雪が降っていて人が登ることもなく、反対に筑波の山は人々が集まり歌舞飲食が絶えないのだという。特定の日に神が来訪し、その接待いかんによって懲罰や報恩を授けるという話は古くからあるし、また世界的にもある。わが国では弘法大師(こうぼうだいし)が各地を行脚(あんぎゃ)しながら、弘法清水(しみず)や弘法芋(いも)といった伝説を残していった。古くは『備後(びんご)国風土記』逸文にある蘇民将来(そみんしょうらい)の話も、神の来訪譚(たん)である。弟の巨旦(こたん)将来が宿を拒んだのに対し、兄の貧しい蘇民将来が神を供応し泊めた。そのために、蘇民一家は疫病を免れて、神の庇護(ひご)を受けることができたのである。貴い神人を歓待するということは、さかのぼれば、来訪してくる神々を祀(まつ)ることなのであった。こうした古代信仰が、これらの説話の根底にはある。ところで富士筑波の説の場合、その要素に加えて嬥歌(かがい)の由来譚になっている点も注目される。
[野村純一]