富島庄(読み)とみしまのしよう

日本歴史地名大系 「富島庄」の解説

富島庄
とみしまのしよう

近世光立寺こうりゆうじ村一帯にあったと思われる庄園。平安末期に本領主の長覚が、その所領を美福門院の御願寺歓喜光かんきこう院に寄進し、皇室領庄園として成立した。康治二年(一一四三)六月一三日には、各種の公事・雑役などを免除する太政官牒(東大寺文書)が出されたが、まもなく右衛門督藤原信頼によって収公され国領となった。そこで長覚は改めて美福門院の御願寺弘誓院に寄進し、久寿二年(一一五五)に官符を得、本家が皇室、領家が山城広隆寺、預所が長覚という体制の庄園となったようである(承久四年四月五日「太政官牒」随心院文書)。久安六年(一一五〇)九月に鳥羽法皇と美福門院が四天王寺(現天王寺区)に参詣した帰路、富島に泊まったりしているのはそうした関係からであろう(「台記」同月二一日条)。しかし、藤原信頼が平治の乱で敗死したあとも摂津国司による侵攻が続いたため、永暦元年(一一六〇)七月広隆寺はその停止を訴えている(「山城国広隆寺所司申文案」東寺百合文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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