富島町二丁目(読み)とみしまちようにちようめ

日本歴史地名大系 「富島町二丁目」の解説

富島町二丁目
とみしまちようにちようめ

[現在地名]西区川口(かわぐち)三―四丁目

富島二丁目ともいう。安治(あじ)川左岸に沿って富島町一丁目の南西に続く町で、南東から南西にかけては古(ふる)川に囲まれる。古川には南東に中(なか)橋が架かって古川(ふるかわ)町二丁目に通じ、南西の安治川との合流点には国津(くにつ)橋が架かって安治川南(あじかわみなみ)一丁目に通じる。成立は富島町一丁目に同じ。元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では富島町二丁目として屋敷数一八・役数三六役で、うち年寄分一役が無役。


富島町二丁目
とみじまちようにちようめ

[現在地名]中央区新川(しんかわ)二丁目

富島町一丁目の南、亀島(かめじま)川東岸にある。南は亀島橋東詰、東は霊岸島川口(れいがんじまかわぐち)町。弘化二年(一八四五)霊岸島川口町西側の河岸地を埋立て、町屋が立てられた(沿革図書・「武江年表」)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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