日本歴史地名大系 「寒田村」の解説 寒田村さわだむら 福岡県:築上郡築城町寒田村[現在地名]築城町寒田櫟木原(いちぎばる)村の南に位置し、城井(きい)川上流域の山間に立地する。元禄豊前国高帳では「サワタ」と訓じる。中世に宇都宮城井氏が本拠とした城井谷の最深部にあたり、戦国時代宇都宮城井氏が溝口(みぞぐち)に居館を営み、その背後の大平(おおひら)城(大平山城ともいう)を詰城としていたという(築上郡史)。元和八年人畜改帳では家数六八・人数一四七(うち百姓一七・名子四一)、牛一八・馬九。 寒田村そうだむら 大分県:大野郡犬飼町寒田村[現在地名]犬飼町西寒田(ささむた)細口(ほそぐち)村北東の台地上にあり、東部を西寒田川が南へ流下する。天文三年(一五三四)閏正月一三日の大友義鑑書状(岐部文書)によれば、豊後境目に大内義隆勢が迫るとの報により、「山香□□□津久見・寒田」などの諸衆に至るまで警戒と出陣が命じられている。この「寒田」衆が当地を中心とする人々であるかどうかは未詳。江戸時代を通じ臼杵藩領。慶長二年(一五九七)の野津院検地帳写(渡辺家文書)には寒田村が細口村など九ヵ村と一括された一冊が含まれ、村位は中。 寒田村そうだむら 大分県:大分市旧大分町地区寒田村[現在地名]大分市寒田霊山(りようぜん)および本宮(ほんぐう)山の北部山麓に位置し、両山系に発する寒田川が貫流する。北は宮崎(みやざき)村、東は鴛野(おしの)村。正保郷帳に村名がみえ田高二二二石余・畑高二一六石余、早田(わさだ)庄に所属。領主の変遷は宮崎村に同じで、明治二年(一八六九)の竈数石高人別調帳(内藤家文書)によれば竈数五九・人数三一八。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by