日本大百科全書(ニッポニカ) 「野津」の意味・わかりやすい解説
野津
のつ
大分県東南部、大野郡にあった旧町名(野津町(まち))。現在は、臼杵市(うすきし)の南西部を占める地域。旧野津町は、1949年(昭和24)4月野津市(のついち)村が町制施行、同年7月野津町と改称。1951年田野(たの)村、1955年川登(かわのぼり)、南野津の2村と合併。2005年(平成17)臼杵市と合併、臼杵市となる。「野津」の名は、中世の野津院と称した地名を継承。火山灰台地が広く、大野川支流の野津川が北流し、この川に沿って国道10号が南北に縦貫し、国道502号も通じる。中心の野津市地区は市場町。近世野津郷五か村の中心であった野津市では、1766年(明和3)4・9の市(いち)日が1・6の日に変更。のち衰えたらしく、1808年(文化5)元の六斎市(ろくさいいち)に復することを臼杵(うすき)藩に申請、許可されている。いまも旧暦10月3日から三日市が立つ。一帯は16世紀後半にキリシタンが栄えた所。河谷平地では米、台地では葉タバコ、ムギのほかサツマイモ、ニラ、ピーマンなどの野菜がつくられる。泊(とまり)地区の風連鍾乳洞(ふうれんしょうにゅうどう)(風連洞窟)は国指定天然記念物。国指定重要文化財として、王子(おうじ)の石造九重塔、八里合(はちりごう)の石造五輪塔がある。なお、同重要文化財の虹澗橋(こうかんきょう)は、大野川の支流三重川に架かる石造アーチ橋で、1824年(文政7)に架橋され現在も使用されている。
[兼子俊一]
『『野津町誌』(1965・野津町)』