百科事典マイペディア 「寛喜の大飢饉」の意味・わかりやすい解説 寛喜の大飢饉【かんぎのだいききん】 1231年(寛喜3年)の大飢饉。前年の長雨と大風雨などの天候異常で凶作となり,特に北陸道・四国での損亡が大きかったという。《明月記(めいげつき)》によれば京都では街路に餓死者が充満,死臭は家の中まで臭ったという。→寛喜新制→関連項目飢饉|株河駅|長禄・寛正の飢饉 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報