改訂新版 世界大百科事典 「寛喜新制」の意味・わかりやすい解説
寛喜新制 (かんぎしんせい)
後堀河天皇の寛喜3年(1231)11月3日に宣下された全42条からなる公家新制。大別すると神仏関係6ヵ条,過差停止関係12ヵ条,公事関係16ヵ条,警察関係8ヵ条よりなる。公家新制中最も条文数が多く,また各条文の規定も詳細を極めており,長文なものである。《民経記》によれば,前年の秋から当年の春にかけての飢饉に伴う世上不安が発布の動機であったようだが,それに対応する条文としてはわずかに賑給(しんごう)施米に関する新条項がみえるのみで,他は通例の公家新制のように,仏神事の興行,過差の禁制,朝廷公事の励行などに関するものが大部分をしめる。多くは建久新制(1191),嘉禄新制(1225)などを継承したものであるが,まま新しい条項も含まれている。陽明文庫に所蔵される鎌倉中期の宗性上人手沢(しゆたく)写本が唯一の伝本であるが,虫損が多いため《三代制符》によって補訂する必要がある。《大日本史料》《鎌倉遺文》所収。
執筆者:後藤 紀彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報