日本歴史地名大系 「寝院北俣」の解説
寝院北俣
ねじめいんきたまた
平安時代後期から戦国期の地名。禰寝院が南北に分れ、禰寝院北俣と禰寝院南俣(現根占町)として成立した。禰寝北俣、あるいは単に禰寝院とも記され、
文永四年(一二六七)三月五日の沙弥道意置文案(志々目文書)に「禰寝院村々置役事」とみえ、道意は院内恒例臨時の公事配分を田数三〇町とし、その内訳を
禰寝院北俣は道意から義篤(定仏)・隆義(仏日)・弥義(胤義)と相伝されたが(前掲志々目系図)、胤義の代になると禰寝院南俣の禰寝氏(建部氏)庶家の建部清政(角氏の祖)が経済力を背景に禰寝院北俣に進出してきた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報