禰寝院(読み)ねじめいん

改訂新版 世界大百科事典 「禰寝院」の意味・わかりやすい解説

禰寝院 (ねじめいん)

大隅国大隅郡から分出した古代・中世の行政所領単位。一般に院とは,平安時代に一国内未開地の開発がすすみ,既成の郡から事実上独立して国衙に直属する公領行政単位が形成されたさい,開発拠点の官衙(院)が行政単位名に転化したものと理解されている。禰寝院もすでに《和名抄》に郷名として現れ,本来の大隅郡の南端すなわち大隅半島最南端辺境に位置しているので,同様の経路で成立したものと考えられている。1069年(延久1)の文書に禰寝院と明記されているので,それまでに成立していたことがわかるが,同文書によると同院は当時すでに内部が北部3ヵ村(大禰寝=のちの北俣郡本,浜田,大姶良)と南部3ヵ村(志天利=のちの南俣郡本,田代佐多)からなっていた。平安末期には北部は禰寝院北俣と呼ばれて島津荘寄郡(よせごおり)となり,藤原氏(のち志々目氏と称す)がその弁済使職を持っていた。また南部は同院南俣と呼ばれて大隅正八幡宮領となり建部(禰寝)氏がその院司・地頭職担い,鎌倉時代には南北とも両氏一族の手で開発がすすめられ,北俣には志々目・浜田各村,南俣には山本・光松・用松・直世・別符・佐多西方・佐多元行各名などが成立した。これらの内容からなる禰寝院は,室町時代には事実上荘園としての意味を失っていったが,北俣・南俣のそれぞれは志々目・建部両氏の所領として戦国時代に及んだ。
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百科事典マイペディア 「禰寝院」の意味・わかりやすい解説

禰寝院【ねじめいん】

平安時代後期から戦国期の院名で,古代の大隅国大隅郡禰覆(ねじめ)郷の名を継いだものとみられる。禰寝院北俣(禰寝北俣)・禰寝院南俣(禰寝南俣)に分かれ,前者を大禰寝院,後者を小禰寝院とも称した。禰寝院北俣は鹿児島県錦江町・鹿屋(かのや)市南部,同南俣は南大隅町・錦江町田代に比定される。1069年の文書に禰寝院とみえ,南北3村ずつに分かれていたことが知られる。平安後期には禰寝院北俣が島津荘寄郡,同南俣が大隅正八幡宮(現鹿児島県霧島市の鹿児島神宮)領となっている。地頭島津忠久,中原親能を経て,北俣は北条氏(名越氏)に移り,南俣は禰寝氏建部氏)が院司職と地頭職を兼ねた。北俣の弁済使職は藤原氏(富山氏)が世襲した。1267年当時,北俣は郡本(こおりもと)村・浜田村・横山村・大姶良(おおあいら)村・志々目(ししめ)村からなっていた。南俣は1276年当時郡本・佐多・田代に分かれ,ほか史料には志天利(してり)や多くの(みょう)がみえる。南北朝期に入ると禰寝氏(建部氏)が勢力を増し,大姶良などは戦略上の拠点となった。戦国期には肝付(きもつき)氏の勢力が強くなった。

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