禰寝院(読み)ねじめいん

百科事典マイペディアの解説

禰寝院【ねじめいん】

平安時代後期から戦国期の院名で,古代の大隅国大隅郡禰覆(ねじめ)郷の名を継いだものとみられる。禰寝院北俣(禰寝北俣)・禰寝院南俣(禰寝南俣)に分かれ,前者を大禰寝院,後者を小禰寝院とも称した。禰寝院北俣は鹿児島県錦江町・鹿屋(かのや)市南部,同南俣は南大隅町・錦江町田代に比定される。1069年の文書に禰寝院とみえ,南北3村ずつに分かれていたことが知られる。平安後期には禰寝院北俣が島津荘寄郡,同南俣が大隅正八幡宮(現鹿児島県霧島市の鹿児島神宮)領となっている。地頭は島津忠久,中原親能を経て,北俣は北条氏(名越氏)に移り,南俣は禰寝氏建部氏)が院司職と地頭職を兼ねた。北俣の弁済使職は藤原氏(富山氏)が世襲した。1267年当時,北俣は郡本(こおりもと)村・浜田村・横山村・大姶良(おおあいら)村・志々目(ししめ)村からなっていた。南俣は1276年当時郡本・佐多・田代に分かれ,ほか史料には志天利(してり)や多くの(みょう)がみえる。南北朝期に入ると禰寝氏(建部氏)が勢力を増し,大姶良などは戦略上の拠点となった。戦国期には肝付(きもつき)氏の勢力が強くなった。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ねじめいん【禰寝院】

大隅国大隅郡から分出した古代・中世の行政所領単位。一般に院とは,平安時代に一国内未開地の開発がすすみ,既成の郡から事実上独立して国衙に直属する公領行政単位が形成されたさい,開発拠点の官衙(院)が行政単位名に転化したものと理解されている。禰寝院もすでに《和名抄》に郷名として現れ,本来の大隅郡の南端すなわち大隅半島最南端辺境に位置しているので,同様の経路で成立したものと考えられている。1069年(延久1)の文書に禰寝院と明記されているので,それまでに成立していたことがわかるが,同文書によると同院は当時すでに内部が北部3ヵ村(大禰寝=のちの北俣郡本,浜田,大姶良)と南部3ヵ村(志天利=のちの南俣郡本,田代,佐多)からなっていた。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

今日のキーワード

出入国在留管理庁

政府が2019年4月に発足を予定している法務省の外局。18年12月の出入国管理法改正案成立に伴う外国人労働者の受け入れ拡大に対応するため、同省の内部部局である入国管理局を再編・格上げし、新設することが...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android