寺尾亨(読み)テラオ トオル

20世紀日本人名事典 「寺尾亨」の解説

寺尾 亨
テラオ トオル

明治・大正期の国際法学者 東京帝大法科大学教授。



生年
安政5年12月29日(1859年)

没年
大正14(1925)年9月15日

出生地
筑前国住吉村(福岡県)

学歴〔年〕
司法省法律学校卒

学位〔年〕
法学博士

経歴
横浜裁判所判事より、明治23年帝大法科大学(東京帝大法科大学)助教授に転じ、24年教授に就任。27年文部省留学生としてベルギーに留学し、国際公法を専攻。28年帰国後、同大学教授として国際法講座を担当。32年ブリュッセル万国国際法会議に出席。日本の国際法学の開拓・運用に尽力した。またアジアの動向に関心を寄せ、33年北清事変に際して政府の外交方針を批判、日露開戦には対露同志会を作り民間で開戦論を組織した。44年辛亥革命には中国へ渡り、革命政府の法律顧問となる。45年東大を辞任。大正3年東京に政法学校を設立、中国人留学生の教育にあたる。また9年“内鮮融和”を目的とする同光会の相談役となった。著書に「国際私法」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「寺尾亨」の解説

寺尾亨

没年:大正14.9.15(1925)
生年:安政5.12.29(1859.2.1)
明治大正期の国際法学者。福岡藩出身。父は寺尾喜平太,母はアイ。明治17(1884)年司法省法律学校卒。ボアソナードの下で刑法を学ぶ。23年帝大法科大助教授。24年同教授。25~28年パリ大学留学,国際法を学ぶ。対露強硬論七博士のひとり。その発言で兼任の外務省参事官を免職。「天下志士」を自任,辛亥革命(1911)に頭山満,犬養毅らと渡中,革命政府法律顧問となる。45年東大を辞任。亡命中の孫文やインド独立運動家ビハリ・ボースらを保護,若き広田弘毅も援助を受けた。朝昼晩酒を飲み,寝酒も飲んだ。同僚の松波仁一郎に「君少し病気してくれ,学生に酒の害を説かねばならぬから」といわれたが,健康で66歳まで生きた。天文学者寺尾寿 の弟,女優東山千栄子は姪で養女。<著作>『国際私法』

(長尾龍一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「寺尾亨」の解説

寺尾亨 てらお-とおる

1859*-1925 明治-大正時代の法学者。
安政5年12月29日生まれ。寺尾寿(ひさし)の弟。横浜裁判所判事から帝国大学助教授に転じ,明治24年教授。日露開戦をとなえた七博士のひとり。辛亥(しんがい)革命のときは革命政府の法律顧問をつとめた。大正14年9月15日死去。68歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。司法省法学校卒。著作に「国際私法」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「寺尾亨」の解説

寺尾 亨 (てらお とおる)

生年月日:1859年12月29日
明治時代;大正時代の国際法学者。東京帝国大学教授
1925年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android