デジタル大辞泉 「寺尾寿」の意味・読み・例文・類語 てらお‐ひさし〔てらを‐〕【寺尾寿】 [1855~1923]天文学者。福岡の生まれ。初代の東京天文台長。のち、東京物理学校(現東京理科大学)を創立。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「寺尾寿」の意味・読み・例文・類語 てらお‐ひさし【寺尾寿】 天文学者。福岡県出身。東大卒。フランスに留学し、帰国後東大教授。近代天文学を導入。初代東京天文台長、初代日本天文学会会長をつとめた。安政二~大正一二年(一八五五‐一九二三) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「寺尾寿」の解説 寺尾 寿テラオ ヒサシ 明治・大正期の天文学者 東京帝国大学教授;東京天文台長。 生年安政2年9月25日(1855年) 没年大正12(1923)年8月6日 出生地筑前国住吉村(福岡県) 学歴〔年〕東京大学理学部物理学科〔明治11年〕卒 学位〔年〕理学博士 経歴明治12〜16年フランスに留学し、各所の天文台及びパリ大学で天体力学を学ぶ。帰国後、17年東京大学教授に就任。21年初代東京天文台長を兼ね、また41年日本天文学会初代会長などもつとめた。東京物理学校(東京理科大学)創立者の一人でもある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「寺尾寿」の意味・わかりやすい解説 寺尾寿てらおひさし(1855―1923) 天文学者。日本天文学体制の創設者。筑前(ちくぜん)国(福岡県)に生まれ、1873年(明治6)東京外国語学校でフランス語を学び、翌年、開成学校に入学。1878年東京大学物理学科を卒業、翌年フランスに留学し、パリ大学で天体力学を学ぶ。1883年帰国、1884年東京大学星学科教授、1888年東京天文台(現、国立天文台)初代台長、そのほか測地学委員会長、帝国学士院会員、日本天文学会初代会長、東京物理学校校長など学界要職を歴任した。金星の太陽面経過、皆既日食などの観測のため数度海外に出張して成果を収め、日本の天文学の基盤を固めた。[島村福太郎] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「寺尾寿」の解説 寺尾寿 没年:大正12.8.6(1923) 生年:安政2(1855) 明治大正時代の天文学者。福岡藩士族。明治7(1874)年東京に出て,開成学校に入り,そのフランス物理科を経て,後身である東大理学部を11年に卒業,同時に国費留学生に選ばれて,フランスに留学し,パリで5年間テイスランの下で天体力学を学んで,16年帰国。翌年東大教授に任ぜられ,21年には東京天文台の初代台長を兼ねた。また東京物理学校(東京理科大学)の創立者となった。帰国後はあまり研究らしいことをせず,つねに官舎で謡曲をうなっていたので,一戸直蔵のような後輩から突き上げられていた。 (中山茂) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「寺尾寿」の解説 寺尾寿 てらお-ひさし 1855-1923 明治-大正時代の天文学者。安政2年9月生まれ。寺尾亨(とおる)の兄。フランスに留学。東京大学教授となり星学(天文学)を講義した。明治21年東京天文台初代台長,41年日本天文学会初代会長。また東京物理学校(現東京理大)初代校長。大正12年8月6日死去。69歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。東京大学卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
百科事典マイペディア 「寺尾寿」の意味・わかりやすい解説 寺尾寿【てらおひさし】 天文学者。福岡県の生れ。1873年(明治6年)東京大学物理学科卒業,1888年東京天文台初代所長。天文学者の養成など教育面で尽力,日本天文学会(1908年創立)の初代会長でもあった。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by
367日誕生日大事典 「寺尾寿」の解説 寺尾 寿 (てらお ひさし) 生年月日:1855年9月25日明治時代;大正時代の天文学者。東京帝国大学教授;日本天文学会初代会長1923年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by