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寺西元栄 てらにし もとなが

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

寺西元栄 てらにし-もとなが

1782-1840 江戸時代後期の武士,国学者。
天明2年3月9日生まれ。寺西封元(たかもと)の次男。幕臣。文政10年陸奥(むつ)伊達郡(福島県)桑折(こおり)代官となり,本居大平(もとおり-おおひら)門下の陸奥社中にまなぶ。のち豊後(ぶんご)(大分県)日田郡代に転任,同地で広瀬淡窓(たんそう)とまじわった。天保(てんぽう)11年11月2日死去。59歳。初名は元永。字(あざな)は士貞。通称は隆三郎,蔵太。著作に「陸奥(みちのく)日記」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

寺西元栄

没年:天保11.11.2(1840.11.25)
生年:天明2.3.9(1782.4.21)
江戸後期の幕臣。字士貞。幼名虎之助。通称隆三郎,蔵太。幕臣寺西封元の次男。代官見習として陸奥各地に勤務,半田銀山(福島県)の支配に従事し,桑折代官として治績を上げた。父封元に養われた安藤野雁との交渉は終生続き,天保8(1837)年に西国筋郡代として豊後(大分県)日田へ転任する際も野雁を伴った。元栄は文芸に対する関心がきわめて強く,陸奥時代は本居大平門人のひとりとして和歌,国学を嗜み,日田では広瀬淡窓・旭荘と交友を持った。旗本のなかで好学をもって鳴る存在だったという。晩年は中風に悩み,人との接触を避けたと伝えられる。<参考文献>渡辺刀水『安藤野雁集』

(久保田啓一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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