日本歴史地名大系 の解説
対馬島分寺跡・対馬国分寺跡
つしまとうぶんじあと・つしまこくぶんじあと
天安元年(八五七)の変で島分寺は炎上したとされるが、「三代実録」貞観七年(八六五)五月八日条に「対馬島分寺三綱供」とあり、その費用に三宝布施大豆一〇〇石の利息を充てるとしており、また同一七年大宰府に「対馬島分寺」料幡一六旒を作って島司に与えるよう太政官が命じており(同書同年三月一三日条)、島分寺の法灯が続いていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報